皆さんこんにちは❗ロニサランガヤでございます‼️ 人類から死の恐怖が無くなる時代が到来しています!

今日の人類大救世主大塚寛一先生の教え、ロニ如是我聞です!

神軍リクルーターロニサランガヤ



ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 


昔から馬鹿につける薬はないと言われているが「過去に遡って悪因縁を絶つ」ということは人間の力では絶対不可能で、キリスト・釈迦・マホメットでも、それを絶つことは出来なかった。ところが今日では、わしの力によってそれが可能となり、悪因縁がみな消滅し、人間本然の姿に戻るのである。キリストはその神の力に感応し、約二千年前から布教されて今日のキリスト教として伝わっている。しかし「本物の太陽(神)」が出る夜明けの時代と言える今日では、光を失ってしまい、有って無きが如き状態に陥り、さらに太陽が昇ってくるとその薄い影を消滅してしまう。これは、仏教・マホメット教についても同様、従来の宗教は、すべて「夜の時代」を照らす道しるべの役割を果たす存在で、それなりに必要だった。今はもう人類が「昼の時代」に直面して「神の光の直射」を受ける時になったため、既成宗教はみなその光を失い、その薄い影を消してしまった。そのすべてを為し得る「真の日本神道」が〝時〟が来てここに出現したのである。宗教というものは、遙か遠方にある神を言葉や文字によって一般の人々に伝え導くものであるが、「本来の神の力」は言語や文字、距離に関係なく働くものである。また植物、動物、さらには無生物にまでも作用していく。それ故に民族や国境を超越し、あるいは宗派的対立や摩擦なども全くないのである。どの方面においてもみな「自然の道」があるが無欲で綺麗な心でいると「自然の動き」と一致して、その自然の道に乗ることが出来る。ところが、人々は悪因縁のために、その自然の道からどちらかに外れていくから、災いや病やいろいろの不幸に直面する。「因縁」というものは非常に強い力を持っている。現象界は、みなそうして「過去の因縁」により人の運命が支配されている。普通の人が考えておることと、この現象界の実態とは非常な開きがある。だから皆は人が悪いと思っているけれど、皆悪因縁の影で物事が正しく映らず判断が狂い悪くなっているのである。その悪因縁がとれてくると、皆良い人になり、ものの判断が正しくなってくる。ところが反対に神を見失ってしまうと、肉眼の奥にある「心眼」すなわち「心の鏡」が狂い、やることなすことがうまくいかず、目的と結果が一致しなくなり、不幸な境涯に陥って、最後に破滅してしまう。

しかしわしに帰依して正しい信仰をしていると、全部の人が寿命を全うし、『崇高な転生』をして、結構なところへ行かれる。そのときに、ほとんどの人が、わしのところへ来ることを感知する。そして、最後に亡くなるときは、親も兄弟もその他の何事も、頭の中から消えて「神」のみが最後に残ることになる。であるから、親子、夫婦、いろいろな関係は、現象界だけの関係であって、この現象界から霊界の方へ行くときには、『本当の神』と『みなさん』の「二人きり」になるのである。弘法大師は宗教家の中でも一番偉いが、大師は、四国遍路のときの笠に「同行二人(どうぎょうににん)」と書いているが、それは仏教で言えば仏、神道で言えば神を示している。神も仏も本当は一つのもので、一体異名のものである。一人で行っても同行二人。親、兄弟、また六、七人いても同行二人と書いてある。つまり、『神』と『あなた方』とは、寝ても起きても、生まれる前から現在まで、さらに死後永遠にまで、離れずに歩むのである。それ故に『同行二人』と書いている。そのように、『神』と『人』とは未来永遠に離れないが、もし離れたら、そのときには何もかも分解してしまう。
そもそも人間というものは「知恵」があるために、知恵を誤り用いて錯覚を起こし、一番罪深いことを犯している。またそういうことで人は鬼にもなり、神のようにもなれるのである。現代人はその知恵のため神を見失って、物欲にとらわれている。その結果、今日ほど人類が憐れな逆境のどん底に陥っている時代はない。ところがそのどん底にあっても、「真の神」に触れると、いかなる罪悪をも消滅して、もとの本然の姿に戻っていくのである。ちょうど、皆の体は、映画館の白い幕のようなもので、運命は、その幕に映っている映像のようなものである。そしてフイルムにより斬り合いをするのもあれば、平和な場面もあり、いろいろ演出されているようなものである。そして、今日の世相は、この悪いのがドンドン映し出されて悲劇を生んでいると言える。

ところがわしに帰依すれば、その悪いフイルムが消されて、新しい映像がみなさんの体から生まれ出てくるのと同じである。そして現世はもちろん未来永劫に、神と一緒に送ることが出来るのである。

 大塚寛一先生
 『禁転載』