皆さんこんにちは!ロニサランガヤでございます❗今日の人類大救世主大塚寛一先生の教え「ロニ如是我聞」は、下記でございます!


8月11日、山の日には、近い将来、世界のメッカとなる東京奥多摩聖地萬寿山にて、全人類の先祖霊供養の式典が行われるようになると思います!

 


神軍リクルーターロニサランガヤ

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8月は、盆の時期であるが、世界何十億の人間が、エスカレーターに乗っているように、時々刻々とその関門に近寄って、100年せぬうちに、この地上から次の世界に送られるのである。そして、気の毒なことに、ほとんどの人が、病や事故災難で弊死し、途中の網の目のようになった選別する穴から、次々と地獄に坂落としに墜落しているのである。


精神科学の「究極(きゅうきょく)の原理」というものは、肉眼(にくがん)では掴(つか)むことができない。が、肉眼の奥にある「心眼(しんがん)」でそれを見抜(みぬ)くことはできる。昔から名人といわれる非常に秀(ひい)でた人は、みなその「心眼」が働く。つまり、物事は肉眼の領域で事をなそうとしても、完成の域に達しない。剣道にしても、なんにしても、突きつめていったなら「超三次元(ちょうさんじげん)」の域に入らなければ真の名人にはなれない。その超三次元的境地(ちょうさんじげんてき・きょうち)は文字言語で言い伝えることは不可能であり、また、いくら考えても入れる境地(きょうち)でもない。けれども、この世の中に現れている現象の裏にはみな「原理」が存在し、その奥に潜(ひそ)む「原理」によって物事は動かされている。だから、「世に偶然というものは一つだになし」と言えるのである。神技(かみわざ)と思われるような不可思議(ふかしぎ)な名人芸の裏にも、当然の「原理」が潜(ひそ)んでいる。ところが、それを体得することは、普通ではほとんど不可能であり、生まれつきの非常に優れた素質・天分と、真剣な努力の両方が相一致(あいいっち)したときに、はじめて可能なのである。つまり超三次元的、名人芸の境地には、本人自身入ることすら容易なことではないのだ。ましてやわしの説く真の日本神道のように、多くの人を距離を隔(へだ)てて、「為さずして成し、無為(むい)にして化して救う」ことは、過去に前例がないことなのである。さらに真の日本神道が偉大なことは、みながわしに帰依して一心に信仰してゆくと、宗教の最高理想である死後の救済「大安楽往生(だいあんらくおうじょう)」ができることである。極楽往生(ごくらくおうじょう)ということは死ぬのではない。息を引きとった後、けっこうな境界(きょうがい)に転生(てんせい)し、いつまでも生きながらえることである。人が極楽往生する時には、定命(じょうみょう)を全うして安らかに息を引きとり、いつまでたっても硬直現象(こうちょくげんしょう)がなく、体温もなかなか冷めない。そして、死後数時間ほどたつと、非常に若返って相貌(そうぼう)が崇高(すうこう)になり、常識では考えられない大安楽往生現象(だいあんらくおうじょうげんしょう)が起きてくる。ところが、この大安楽往生を願って、人がキリスト教で説く「天の父」や、仏教で説く西方浄土(さいほうじょうど)の「阿弥陀如来(あみだにょらい)」などをいくら真剣(しんけん)に信仰しても、決して求め得られない。なぜなら、釈迦(しゃか)・キリストの信仰の対象物である「神の本源(ほんげん)」と、人との間には大きな隔(へだ)たりがあるからである。そもそも、キリストがとらえた東方の天国にまします「わが父」も、釈迦(しゃか)が信仰している西方浄土(さいほうじょうど)の「阿弥陀如来(あみだにょらい)」も、また日本の「神道」で説く「天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)」も、本来は同一の神を指しているのである。「真理」は唯一(ゆいいつ)であるように、「まことの神」も一つである。すなわち、当時は天動説(てんどうせつ)の時代で、天が動いていると思っていたので、それぞれ異なった方向に「神の本源」をとらえ表現している。が、事実は朝・昼・夕によって太陽の位置が異なって見えるのと同様に、同一の神を時と所を違え発見しているにすぎない。しかし、それらの霊覚者(れいかくしゃ)たちに共通することは、「神の本源」が非常な速度をもって地球に接近しつつあることを説いていることである。つまり、釈迦は「正法(しょうぼう)千年、像法(ぞうぼう)千年、そして末法(まっぽう)の時代になると、自分の教えは廃(すた)って救済力がなくなる。その時に真の救世主・弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出現して、すべての人を済度(さいど)す」と説いている。キリストも「石も姿をとどめないほどの火の洗礼(原水爆の出現)の後に、天の父が地上に降臨(こうりん)し、そのキリストの再臨(さいりん)によって、万人が救われる」と予言している。今日(こんにち)、その時が来て、釈迦(しゃか)・キリストが遠方でとらえた「神の本源」が地上に到達(とうたつ)し、原爆の投下を受けた日本に、人体と一体化(いったいか)して出現したのが、真の日本神道である。だから、その偉大な「神本源の力」に直接ふれることができる帰依者は一切(いっさい)の悪因縁(あくいんねん)が消滅してみな救われるのである。知識の進んだ人の中には、安心立命(あんしんりつめい)ができる者もいる。が、その安心立命は観念的な自己満足にすぎず、真の安心立命の境地ではない。ところが帰依者は前述のように、人生の最後には全部の者が大安楽往生できるので、真の安心立命の境地に入れる。すべての人が願い求めている理想、真の「大安楽往生」の境地に入った人は、わしへの帰依者を除くと、過去に高野山(こうやさん)の弘法大師(こうぼうだいし)さんぐらいであり、他の人はほとんど入れていない。その大理想が今日、わしの説く真の日本神道によって実現できるようになったのである。そして「昼の時代」を迎えて、これから、「陽の宗教・究極の日本神道」が広がるようになり、全部の人が救われてゆく。そして、この世が争いのない「共存共栄」の理想世界に変わってゆくようになる。つまり、人生の最後に全部の者が大安楽往生できる時代がついに到来(とうらい)したのである。しかし信仰の度合(どあ)いによって、同じ極楽往生(ごくらくおうじょう)でも非常に大きな隔(へだ)たりが生じてくる。ちょうど海面から上が極楽、下が地獄にたとえると、同じ「極楽の世界」でも、水平線ぎりぎりの低い境界(きょうがい)もあれば、雲の上のように高い境界(きょうがい)もある。だからあなた方は、心をゆるめることなく、どこまでも真剣に信仰に徹し、少しでも高い極楽の境界に昇れるように努めることが大切である

大塚寛一先生
 


 

 

(下記は、信者ではない友人マイケル様のブログから引用でございます。尚、ロニは団体への勧誘は致しておりませんので、あしからず。ご自分でご判断願います。神界佇立の大塚寛一先生に貴方の祈りが届けば、奇蹟現象を体験させていただけます。実証を見てから、ご判断願います。)
http://blog.livedoor.jp/mysticart/archives/1820026.html