いつもご愛読下さりありがとうございます。
この記事を通じた出会いに感謝します。
愛されていたと気づくと安心する
日常生活で、いつも不安で心配で
お金は足りるのかと恐怖を感じていました。
この、ないという恐怖。
お金がなくなるのではという不安。
その根本原因が
思考の学校で紹介していた
親の愛があるとお金があるという
ものなのではと思えました。
お金=愛だそうなので
お金のなくなる恐怖は
愛がなくなる恐怖とも
言えるそうです。
愛とは、特に親の愛の事で
親から愛されていたと
私って、愛されていたんだと
感じられたら
安心も感じました。
愛があるという安心。
つまり、ちゃんと愛を受け取れたと
いう証拠じゃないかと思いました。
今までは、愛をちゃんと受け取れてなかったから
お金がないという恐怖や
お金がなくなったらという不安を
感じていたように思えました。
親から愛されていないからという
ひねくれた目線で
私なんか愛されないと
拗ねてしまっていたように思いました。
愛されないから、価値がない。
愛されて、価値を得ようとして
いい人をして好かれようとしたり
人に尽くして好意を得ようとしたり
完璧でないと愛して貰えないと
条件を付けてしまったり。
親の愛を受け取れてなかったから
別の誰かから外から愛を得ようと
必死に媚びてしまっていたように思えました。
でも、愛があるなら
愛されていたなら
外からもらおうとする必要もなくなります。
私は、親からみんなから愛されていた。
だから、あとは自分で自分を愛するだけ。
人から愛されたくて使っていたエネルギーを
今度は、自分を愛することへ使えます。
今まで、ずっと人へエネルギーを使っていたので
すぐには変えるのはむずかしいかもしれませんが
すこしずつ
自分を幸せにするために使えるように
なりたいなと思います。
それから愛されているから、
一人で全部やろうとしなくてもいい、
苦手な事出来ない事は人に頼んでいい。
人に頼れず、自分一人で全てやろうとすることは
自立に見えて実は依存だったと気づきました。
小さいころ、親は仕事に家事に兄弟にと大変で
私の面倒まで負担で出来ないだろうと
勝手に思ってしまって
自分の事は自分一人でやろうと
思ってしまったことがありました。
親は、面倒でも負担でもそれでも
私の面倒をやってあげるよ
甘えていいよと
手を差し出してくれたのに
自分で親に負担をかけている
私が重荷になって申し訳ないと
私のせいで大変な思いをして不幸にしていると
罪悪感を感じて
拒否してしまった。
だから、親の愛がないから
私の分まで余力がないから
自分一人でやるしかないと
心を閉じてしまった。
でも、自分一人で全部できる人なんて
この世に一人もいません。
服も、家も、物も自分一人で
全て作ることは不可能です。
自分一人の力は
当然小さすぎて無力と
感じてしまいます。
そして、無力だから依存させてと
他人や、宗教や、外のモノに依存するように
なってしまいました。
尽くしたから、愛してよと。
手伝うから、困った時私も助けてよと。
役に立たでしょ、認めてよなど。
依存は、良くないのでトラブルが起こります。
人間関係だったり、お金だったり
依存しているよ、良くないよやめようね
というお知らせのように起こりました。
でも、親の愛があると
愛されていると安心できたので
人からもらう依存をやめる
きっかけになれるかと思いました。
不幸じゃないよ
親は私がいて幸せだったよと
深く愛してくれていたから
面倒でも、嫌な事でも引き受けて
甘えていいよと
時間と労力とお金と全てを注ぎ込んで
ここまで育てて愛してくれたと。
こんな無償の愛は
見返りを求めず与え続けてくれる愛は
他にないよと
世界一の愛だよと
ずっと愛されてて
ずっと常に傍に愛はあったんだよと
実感できました。
そうすると、ひねくれた見方も変わって
私を愛してくれていたから
叱ってくれたんだね
心配して怒ってたんだね
責任を感じて悩んでくれたんだねと
すべてが愛されていた事実に変わりました。
愛されてないから、という目線から
愛されていたから、という目線に変わるだけで
親の愛をより受け取りやすくなれたかと思いました。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
また、お会いしましょう。