いつもご愛読下さりありがとうございます。

 

この記事を通じた出会いに感謝します。

 

 

今日は神経や筋肉に病として表れる

 

心使いを見て行きます。

 

 

その心使いは『こうまん』です。

 

 

高慢のイメージとしましては

 

自分が特別だと地位や権力を笠に着て自惚れ

 

周りの人を見下したりする

 

ことではないでしょうか。

 

 

命の平等を踏みにじる

 

神様に最も嫌われる心使いです。

 

 

なぜ人を見下し、自分が上だと

 

マウントを取ってしまうのでしょうか。

 

 

それは、やはり自分の存在価値を

 

自分自身で認められていないから

 

ではないでしょうか。

 

 

存在価値とは、自分の存在に対する価値

 

もっと言うと生きている価値と言えます。

 

 

生きて存在しているだけで自分は価値があると

 

何の条件もなくそう認められたなら

 

マウントを取って存在価値を穴埋めする必要はなくなります。

 

 

私の方が、頭がいい、お金持ち、友達が多い、容姿がいい、結婚してるなどなど。

 

人と比べて優れているから存在価値があると

 

必死に自分の価値を訴える必要もなくなるのです。

 

 

頭悪かろうが、貧乏だろうが、独身だろうが、病気だろうが

 

生きて存在しているだけで自分は価値があると言えたなら

 

それは本当に存在価値を認められている証と言えます。

 

 

 

認められていないから

 

人より劣る自分の部分を敏感に恐れて

 

その劣等感を隠すために

 

必死にマウントを取ってしまう。

 

 

だって人より劣っていたら自分に価値はないから。

 

存在価値がないと生きて行けないから。

 

優秀でないと、人より優れていないとダメだと

 

必死に頑張って努力をしてしまう。

 

 

でもそれは、存在価値がないと

 

勝手に思い込んでいるだけなんですよね。

 

 

学校教育で成績で競争させられたから

 

出来ないと怒られたから

 

社会で負け組だと見下されたから

 

それが常識だと思っていたから。

 

 

学校や社会が勝手に決めた

 

『優劣で価値が決まるルール』を

 

押し付けられて植え付けられていただけです。

 

 

そんなのに従わなければいい。

 

そのルール嫌ですと一抜けすればいい。

 

 

社会が勝手に『優劣ルール』を作るなら

 

自分も勝手に『自分は存在価値がある』と決めていい。

 

 

社会の考えに従わない、自分で自分の価値を決める。

 

社会のルールを拒絶して

 

自分が決めたルールを採用していい。

 

 

自分で自分は存在価値があると決めた。

 

社会や周りが何と言おうと

 

自分は自分が決めたことを採用する。

 

 

そうすると、本当の姿が見えてきます。

 

 

立派な役員の肩書がなくても、貴族や殿様でなくても、

 

そんなのに頼らなくても

 

自分の存在は価値がある。

 

 

人工のものより

 

自然なもの天然なものの方が

 

食べ物でも何でも価値がありますよね。

 

 

神様が創ったものは何でも自然なものです。

 

人間もそうです。

 

だから自然に存在する自分には

 

自然な美しさも価値もある。

 

 

不自然に頑張って

 

地位や肩書やお金を

 

べたべた貼り付ける必要はない。

 

 

それに頼ると本来の自然な価値を見失ってしまう。

 

優越感や特別感を抱いてしまって

 

人を見下す最低に落ちてしまう。

 

 

何を信じるかは自分が決められる。

 

社会の優劣ルールを信じるか

 

自分の自然な価値を信じるか

 

信じたい方を信じればいいと思います。

 

 

ただ、神様が創った人間の命の価値はみんな平等。

 

それを踏みにじる高慢の心使いは

 

神様に嫌われてしまうのは避けられません。

 

 

上下も優劣も付けずに

 

自然のままの自分の価値を認める。

 

そうして同じように他の人の価値も認める。

 

みんな同じ。安心。

 

 

それらのことを考えるために

 

神経や筋肉の病として表れて

 

きっかけを与えてくれているのかもしれません。

 

 

病も神様からの深い愛。

 

神様は意地悪は決してしません。

 

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

また、お会いしましょう。