いつもご愛読下さり、ありがとうございます。
この記事を通じた出会いに感謝します。
財宝探し
何のために生きているのか。
ここにいる意味はなんなのか。
私なりにそれは、
ありのままの自分を取り戻して
その自分でこの世界を体験するため
かと思えました。
小さいころから、
本当の自分を出せていない
自分の力を発揮しきれないと
漠然と不安に思っていました。
なぜか。
ありのままの自分が分離しているから。
最近それが分かりました。
その原因が、
頑張るという考え方にあることも。
頑張るとは、言い方を変えると
今の自分ではダメだから、頑張って努力しよう
という自己否定になります。
今の自分はダメ、今の自分は足りてない
この否定と不足が
ありのままの自分を封じて
本来の力が発揮できない原因かと思いました。
否定は、そぎ落とすこと。
認めない、許さないと、切り離すこと。
料理ができない自分はダメ、
人見知りの自分はダメ、
優しくない、冷たい自分はダメ、
怒ってばかりの自分はダメ。
そんな一面も確かにある、持っている
ありのままの自分の一つ一つのピースを
これはダメだとジャッジして
否定して排除していくこと。
それが、頑張るの正体。
料理が出来ないとダメだから、出来るように頑張ろう。
一見いいことに思えってくるその行為は
料理出来ない自分を否定して
そんな一面を持つことは認めない、許さないという
厳しい自分責めになってしまいます。
責めて、攻撃すれば傷付きます。
こんな一面あってはならないと排除しようとすれば
その一つのピースをそぎ落とすことになります。
ありのままの自分を
一つのパズルとすれば
そこに傷がついたり
完成に必要なピースが一つでもなければ
完全体にはなれない。
機械でも、部品が一つないだけで
正常には動かないように
ありのままの自分も
一つでも、構成要素のピースが欠けたら
真価は発揮できない。
頑張ることで、自分を分離させていた。
完成できず、本来の自分も力も出せなかった。
頑張る事、もう嫌だと思った時に
ふとそんなことが思い浮かびました。
頑張れば、頑張るほど
ありのままの自分から遠ざかる。
皮肉なお話。
自分が、一番欲しかったものは
地位とか、肩書とか、豪邸とか、高級車とか
人からの称賛とかでもなくて
ありのままの自分と言う財宝です。
自分の内側の、一番身近にあって
みんな生まれた瞬間からずっと持っているのに
なぜか気付かなかった
世界一価値があるもの。
価値があるから、
この世界のあらゆるものを受け取れて
自分を幸せに出来る力がある
最高の財宝。
頑張るという分離させる作業の真逆
ダメな自分も良い
できない自分も良い
役に立たない自分も良い
ドロドロ汚い感情がある自分も良い
そんなありのままの自分の一面全てを
肯定する、許す。
自己肯定と、許すという愛で
そぎ落としてきたピースを
ひとつひとつ統合させていく。
統合して、完成するのが
本来の自分
ありのままの自分。
完璧超人でも、いい人でもない
怒りもするし
失敗もするし
間違うし
情けない所もある
ありのままの自分。
こんなんじゃダメだと否定してきた自分こそ
出来ない、情けない、カッコ悪いのはダメだと
顔をしかめてきた自分こそ
実は、世界一価値ある財宝だった。
だって、頑張らないと
みんなから認められない、愛されない。
勉強も運動も出来ないと
仕事もできないと
料理も出来ないと
明るく優しいいい人でないと。
完璧でないと、認められない、愛されない。
それこそが、一番の勘違いでした。
ありのままの自分を否定して
何でもできる完璧な人になれたとしても
それは本当の自分ではない。
まがいもの。
不自然な人工物。
言い方はきついですが
自然から、かけ離れた
大変に不自然なものに思えます。
頑張る事に、完璧には際限がなくて
永遠に自己否定のループになり
例え、到達できたとしても
本物には決して及ばない
不自然なまがいものという果て。
いっそ、頑張る事からおりて
ダメな自分を抱きしめた方がいい。
出来なくてもいいよと許す、寛大さを持てたほうがいい。
そのままでいいよと自己肯定の方向に行った方がいい。
ひとつ、ダメだと否定して泣かせてきた自分の一面を
許して、救って、安心させてあげた方が
きっと自分も幸せになれる。
否定から、肯定へ。
頑張るから、許すへ。
これじゃダメから、これでいいのだに。
天才バカボンのパパが天才なのは
これでいいのだと
自分をまるごと肯定できたから。
ありままの自分の本当の価値をしっていたから。
その、ありのままの自分こそが
自分を幸せにする力を持った
世界一の財宝だと多分知っているから
かなと思いました。
頑張っても、幸せにはなれなかった
望むものを手に出来なかった
だから、さらに頑張る事をやめて
全ての自分の一面を許して行く
受け容れて行く
肯定していく
統合していく。
その方向に、自分は今度は舵をきっていきたいなと
思いました。
本当に、望むものは
実は自分の一番近くにあった。
もう持っていた。
自分の場合は
それはありのままの自分
親の愛
平穏な日々。
最初から、ずっと持っていました。
頑張って、手に入れようと手を必死に伸ばさなくても
ここにずっとあったのかと、
なんだという
ありふれていて気付かない
頑張るに覆われて、見えていなかった
たったそれだけのものだったように思いました。
そして、ありのままの自分でこの世界を体験する。
そのために今、ここにこの世界に
生まれて生きているように思えました。
今までは、気付くまでの旅路。
これからは、気付いた後の旅路。
そんな少し変わった
私の見解でした。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
また、お会いしましょう。