奇想天外、朝鮮外交の舞台裏と慈照院 | あなたの知らない韓国 ー歴史、文化、旅ー

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はじめに

 

 

   前回は京都五山のひとつ相国寺について紹介させていただきました。いかがでしたでしょうか。相国寺は京都を代表する禅刹であるとともに、当時の中国との交流の深さをうかがわせる寺でもありました。

 

    また相国寺は中国のみならず朝鮮通信使とも関係が深い寺でした。相国寺の塔頭(たっちゅう)である慈照院が朝鮮外交にも関与した時期がありました。朝鮮外交は本来、国境の島にある対馬藩が仕切っておりました。

   

   対馬は室町時代以来、朝鮮外交の最前線で活躍した寺院ですが、1636年から1866年まで、慈照院など京都の五山寺院からのお目付け役がつくことになります。お目付けがつくきっかけとなったのが、世に言う「国書偽造」事件です。慈照院の役割を考えるのに「国書偽造」の成り行きを振り返ってみましょう。

 

慈照院の門前ー静かな趣きー
 
 
 

対馬藩と「国書偽造」

 

 

  室町時代以来の朝鮮との交流は、秀吉の朝鮮侵略によって一旦中断します。戦後、国交再開に向けて日朝両国の歩み寄りの結果、1604年に朝鮮から対馬側に講和条件が示されました。

 

朝鮮国王の陵墓を荒らした犯人の引き渡し

2 家康から朝鮮国王宛、国書の送付

 

    現代人にはなんともないように見えるかもしれませんが、当時これは難問でした。国書を先付することは相手への恭順を示すことになり、徳川の面子が許しませんでした。

 

   しかし対馬藩は国交再開のため策を講じます。対馬島内の罪人二人を墓あらしの犯人に仕立てて朝鮮に引き渡し、そして日本国王印を入手し、徳川から朝鮮国王に送る形で偽造したのでした。

  

    これで講和が進展し、「回答兼刷還使」(かいとうけんさっかんし)の派遣で、交渉が復活しました。しかし一度はじめた国書偽造、辻褄をあわせるため、次も偽造を続けねばならず、対馬は幕府と朝鮮側の両方に隠密に国書を偽造したのでした。

 

    しかし意外なところから事件が発覚します。対馬藩主宋義成の家老である柳川調興が幕府に偽造の事実を告訴したのです(柳川一件)。柳川氏は宋氏の譜代の家臣ではなく、下克上の機会を虎視眈々と狙っていたようです。結局、最後は喧嘩両成敗。朝鮮外交における役割を買われてか宋義成にはお咎めなしで、柳川は津軽に流罪となります。

 

    もし対馬を朝鮮外交からはずし、幕府が直接仕切ることになると、国同士のメンツがぶつかり決裂する事態もあり得ます。つまりそれまで対馬が果たした対朝鮮外交のクッション的役割を評価したのです。対馬が間を取ることによって、無用な摩擦を減らす道をとったのでした。

 

 

 

歴史を感じさせる山門
 
 
 

京都五山 慈照院と朝鮮外交

 

 

   慈照院は烏丸通の東側で、相国寺のすぐ北側に位置する相国寺の塔頭寺院です。1405年頃に創建され大徳院と呼ばれましたが、室町八代将軍足利義政(あしかがよしまさ)の像や位牌をまつり、その法号から慈照院と名乗ったようです。義政といえば東山文化を代表する銀閣寺で有名ですが、銀閣寺は通称で、正式には慈照寺といいます。江戸初期には七世昕叔顕啅(きんしゅくけんたく)は桂宮(八条宮)と親しく、また千利休の孫千宗旦と親交があり、宗旦好みの茶室があることでも有名です。

 

    さて、先述の   国書偽造事件の後、1636年から京都五山の碩学僧が、対馬藩へ2年交代で派遣されることとなり、慈照院からも計5名の僧侶が派遣されていました。この派遣は朝鮮外交に関わる文書の起草、翻訳などのためでした。この制度は「以酊庵輪番制」(いていあんりんばんせい)と呼ばれ、派遣された僧侶のうち、別宗祖縁(べっしゅうそえん)という僧侶は慈照院の五世という要職にありました。彼は1682年の通信使では、通信使一行と京都の宿所である本圀寺(ほんこくじ)で筆談により意思疎通し、朝鮮からの一行と友誼を深めたのでした。さらに1711年、六代将軍徳川家宣(とくがわいえのぶ)就任の際の通信使では、大坂まで一行を出迎えに行き、江戸まで同行しました。この時の詩文が『韓客詞章』(かんきゃくししょう)として、他の資料とともに慈照院に残されているそうです。

 
 
まとめ
 
     現代では僧侶というと葬式や法事くらいの用事しか思い浮かばない人も多いかと思います。しかし中世以来、中国などとの交流があり、国際情勢にも詳しく、当時の外交の裏の立役者でした。そんなことを想像しながら京都などをまわるとまた一味違うものがあると思います。

 

   慈照院は、京都市地下鉄鞍馬口駅下車。烏丸通を南にすぐのところにあります。普段は境内地非公開ですが、春や秋などに特別公開されることがあるようです。私も機会があれば拝観に行きたいと思っています。

 

説明板1
 

 

 

説明板2

 

 

 

追記;京都関係の記事には以下のものもあります。ご覧いただければ幸いです。

 

600年前の日本文化ニューウエーブ 京都五山・相国寺と足利義満 ーアジア再発見 京都(その4)ー

https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12462201475.html

 

尹東柱 序詩について ーアジア再発見 京都(その3)

https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12460875369.html

 

あゝ!異郷の地で亡くなった青年詩人 尹東柱の詩碑 ーアジア再発見 京都(その2)ー

https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12460160929.html

 

韓国・朝鮮専門の美術館 高麗美術館に寄せて ーアジア再発見 京都(その1)ー

https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12459894168.html