前回は同志社大学今出川校舎にある尹東柱、鄭芝溶両詩人の詩碑を紹介しました。このような優れた文学碑が大事に残され、公開されているのは大変喜ばしいことですが、この周辺にはこれ以外にもいろいろな重要な文化史跡が残されています。きっと聞けば名前くらいは知ってるような有名どころがひしめいています。
室町幕府推定地、応仁の乱勃発地である御霊神社、京都御所、イノシシが守護してる護王神社など見所がたっぷりです。そういった著名な文化史跡の中で相国寺などはまさに同志社大学のすぐ隣にあります。
ところで相国寺という名前の寺は皆様方ご存知でしょうか。そうですか、残念ながらご存知ありませんか。しかしながら、東アジアとの交流に関心のある人には、ぜひ知ってて欲しいお寺の一つですね。
それでは「知らざあ言ってきかせやしょう」(弁天小僧菊之助のつもり)
武士と宗教
突然ですが質問したいと思います。お宅の御宗旨は、信仰はと聞かれて何とお答えになられますか。いきなり宗教のことを聞くのかと危ないやつだ思われそうですが、そうではありません。何とかお答えくださいませ。
えっ、わからないって。そうですか。そう言われるかもと思いながらもお聞きしました。
たしかに最近はお寺と付き合いがなく元々の旦那寺がどこかわからない人や、あるいは特定の宗教をもたない人も増えていますが、以前は自分の家がどんな宗旨(宗教)に属しているかははっきりしている場合が多かったのです。特に江戸時代などはキリシタン対策のため、どこかの寺院の檀家になることが義務付けられていましたので。
中世を生きた武士層の中でも人によって宗派は様々だとは思いますが、自律的な気風が合うのか、禅宗が広く受け入れられたようです。(もちろん禅宗だけが全てではありませんが)
今回紹介する相国寺というのは、京都にある禅宗の一派、臨済宗に属する禅刹です。鎌倉末期には中国南宋代の五山官寺制度が移植されて、室町幕府になり三代将軍足利義満の時代に鎌倉と京都に五山がおかれることになりました。鎌倉五山とは建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺の臨済宗寺院のことです。皆さん、鎌倉に行かれたら狭い地域の中にお寺がひしめくように立っているのが見られます。鎌倉にはそれらお寺が醸し出す独特の雰囲気が漂っていますが、それはまさに鎌倉五山を中心とする鎌倉の雰囲気だと言えます。
京都五山と相国寺
(京都五山)
一方、足利義満は京都にも五山を置きました。京都五山とは天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の5ヶ寺であり、それとは別に南禅寺を首格、大徳寺をその次に置いたのです。
今回紹介する相国寺は、京都五山の中でも二位に位置する格式の寺院です。現在の烏丸通(京都駅から東本願寺の脇を通り北上する通り)と今出川通(銀閣寺から京都御所を抜けて北野天満宮前行く通り)の交差点の東北に伽藍がそびえています。京都五山のひとつだけあって現在でも広大な伽藍を抱えていますが、往年はもっと広大な伽藍を擁していたようです。
(東アジアの中の室町時代)
さてこのお寺の創建についてです。東アジアのある国との深い由縁で開かれたのですが、由縁のあったのがどの国だかご存知でしょうか。
中国だろうって。そうです中国です。まさに大正解です。では中国でもどういう王朝の時代になるかわかりますか。それはさすがにわかりませんか。残念ですね。正解は明(みん)王朝です。明は1368年から1662年まで続いた漢民族主体の統一王朝で、明王朝の前は元(げん)、その後は清(しん)と言う王朝で、両王朝とも遊牧民族が主体の王朝でありました。また世界史のやり直しみたいに思うかもしれませんが、日本の文化史を考える上でもポイントになるので、知ってて損はないと思いますよ。
(足利義満の時代と東アジア)
そういう国際関係の中で、相国寺は明徳3年(1392年)に、室町幕府三代将軍足利義満と夢窓疎石によって開山されました。足利義満ってどんな人だったか知っていますか。年配の人ならアニメ「一休さん」に出てくる将軍様といえばおわかりでしょうか。一休とんち話自体は後世の創作ですが、屏風の虎退治など、将軍さまが一休さんのトンチで切り返される場面は痛快ですね。
しかしながら足利義満という人は歴史上、間違いなくキーポイントにある人物です。鎌倉幕府に比べると室町幕府は政治基盤が不安定な一面はありました。実際、室町幕府初代の足利尊氏、2代の足利義詮の時代は天下動乱の時代でした。鎌倉幕府が倒れると、武家と朝廷の間の主導権争いが起こり、天皇家がふたつに割れました。つまり幕府の擁立した北朝系(光厳、光明、後光厳、後円融、後小松の各天皇)と、それに対する南朝系(後醍醐、後村上、長慶、後亀山の各天皇)です(今上天皇は北朝系)。このふたつに分かれ争っていたのをおさめ、南北朝合一を果たしたのが1392年、まさに足利義満の時代でした。室町時代を通して3代将軍足利義満の時代が一番安定しており、財政的にも豊かだったのでした。伝統的な公家文化と武家文化、明との貿易を通じた中国文化の影響で、水墨画や五山の僧侶による文学も発達し、足利義満が北山に営んだ山荘にちなんで北山文化と呼ばれます(教科書でもおなじみ)。京都の観光名所金閣寺などはこの時代の象徴であり、銀閣寺とならぶ相国寺の塔頭寺院のひとつです。このブログをご覧のほとんどの方は行かれたことがあると思いますが、世界的観光地だけあって、いつも人で混雑してますね。
また忘れてはならないことに、南北朝合一が成立した1392年には、朝鮮半島では李成桂が高麗王朝を倒し、この後500年以上も続く朝鮮王朝(1392〜1897年)を建国しています。現在のソウル市内に都が置かれたのもこの時で、景福宮などの宮殿が建てられました。中国での明朝の成立とあわせて、この頃の東アジア世界は安定期をむかえています。世界史的安定期を背景にしての南北朝合一であり、そういった背景のもとに華麗な北山文化の成立があるのです。
鳴き龍で有名な相国寺法堂
相国寺方丈
相国寺 方丈 庭園
(相国寺の創建)
先に述べましたように、相国寺は1392年に創建されましたが、正式名称は萬年山相国承天禅寺で略して相国寺といいます。この寺号の由来はどこにあると思いますか。どうせ中国からだといいたいのだろうって。
正解です。この寺号の由来は確かに中国に由来しています。足利義満が寺の名前について彼の禅の師匠である春屋妙葩(相国寺二世)相談したことに由来しています。その理由は義満が左大臣の地位にありますが、これを中国では相国といい、中国の開封には大相国寺という寺があるので、うってつけではないかと進言したことに由来しています。
相国寺の伽藍と禅宗様
相国寺は当時の中国からの直接の影響を受けているだけあって、それまでの南都の寺院などとは建築様式も違います。当時の大陸で流行した禅宗寺院建築の様式を受け継いでおり、禅宗様などと呼ばれます。
それ以前、四天王寺、法隆寺などの古代寺院では「南門」「中門」「塔」「金堂」「講堂」などといい、一直線に堂宇が並ぶのが基本的でした。これらの寺では学問や鎮護国家の祈祷などが主体だったので、正直あまり生活臭がしません。しかし禅宗では座禅などを取り入れますので、日常生活を重視した構成になっています。相国寺でも僧侶が仏法を講義する「法堂」、住職の勤行や応接室、日常生活の場である「方丈」、浴室である「宣明」など、見かけも呼称も相当な違いがあります。そこで生活してる感があります。
(瑞春院)
相国寺の見学に行くと、広大な境内には多数の塔頭があります。塔頭とは禅宗用語で、開山や住職の死後、弟子などが建立した子院のことです。
寺の西側を通る烏丸通から境内に入ると、左手に瑞春院と言う塔頭が出迎えてくれます。これは、某作家の小説の舞台として有名ですが、ご存知でしょうか。
そうです。よくご存知ですね。故 水上勉氏の小説「雁の寺」の舞台がまさに瑞春院です。氏が幼い頃、実際に小僧を務めていた寺です。若狭から出てきた小僧が主人公ですが、意外な成り行きに驚いた記憶があります。また読みたい一冊です。
(法堂)
そして瑞春院を左に見ながら進むと、左手に一番大きい建物である法堂が見えます。皆様方ご存じの通り、相国寺の法堂は天井に描かれた鳴き龍で有名です。鳴き龍は慶長10年(1605)、法堂の5回目の再建時、狩野光信によって描かれたと伝えられ、今も彩色が鮮やかです。法堂の天井の中央部に描かれた龍の下で手をたたき、音がうまく響くといいことがあるそうで、そのため、鳴き龍と言われています。龍の豪快な姿に思わず見とれてしまいます。私が手を叩いた時にはしっかりと鳴いてくれました。いいことがありそうでうれしいです。
(方丈)
そして法堂の天井の龍に見とれた後は方丈に行きましょう。これだけで独自の精神的空間になっています。縁側で静かに座りながら庭園を見ると、非常に心落ち着くものがあります。忙しい毎日を送っている皆様も、時には精神の休養をしましょう。これこそ禅寺探訪の醍醐味でしょう。
楽しみながら見学し、背後にある歴史性・精神性を考えながらお寺を見比べるのはいかがでしょうか。一層、興味が深まると思いますよ。
「雁の寺」舞台 瑞春院
大相国寺より贈られた鐘
相国寺の行き方
相国寺は京都市営地下鉄1番出口を出て、烏丸通りを北へ100m程度すすみ、最初の路地を右に折れると大本山相国寺の石柱が見えます。それより向こうが相国寺境内になります。
追記;京都関係の記事には以下のものもあります。ご覧いただければ幸いです。
奇想天外、朝鮮外交の舞台裏と慈照院 ーアジア再発見 京都(その5)ー
https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12463348652.html
https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12460875369.html
あゝ!異郷の地で亡くなった青年詩人 尹東柱の詩碑 ーアジア再発見 京都(その2)ー
https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12460160929.html
韓国・朝鮮専門の美術館 高麗美術館に寄せて ーアジア再発見 京都(その1)ー
https://ameblo.jp/yoa1003/entry-12459894168.html






