長良高校サッカー部   | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

このブログは、子供たちのサッカーについて記録したり

(小学生の親にありがちな)何らかの思いを

サラっと書いとこかな、ということで始まりました。

 

また、当時は猫も杓子もブログを書いていた時代だったし。

 

 

 

 

 

個人的には仕事(とその背景)がめちゃくちゃ大変な時期で

巨大なモノとたった一人で闘っていたような状況で

身も心もボロボロ、メンタルがずいぶんすさんでいて

 

唯一の楽しみというか、癒しがサッカーだった感じでした。

 

 

 

 

 

三人の息子の、次男と三男が長良高校のサッカー部で

次男は、現・鹿島アントラーズの藤井智也選手の

一学年下であり一年生の頃からともに試合に出ていました。

 

 

10番が藤井選手、隣りでうなだれているのが次男。

 

 

次の年、GKの隣りが次男。

 

 

 

 

 

三男は、次男の二学年下でサッカーIQは高かったのですが

とにかく戦わないのです。身体も細かったし。

 

末っ子にありがちな「無駄な争いをさけて通る」タイプで

入部した当初は、Bチームのベンチにも入れてもらえない

という、まあ当たり前と言えば当たり前の処遇でした。

 

 

それは本人も相当悔しかったハズです。

だんだん試合に出るようになって、二年生の秋には

選手権予選のメドウで先発できるようになりました。

 

 

メドウでの準決勝。

 

 

 

 

 

大抵のスポーツ少年は、経験者の親が自分の子供には

「何としてもやらせたい」から始まって、小学四年から

小学五年にかけての「トレセン選考」のあたりでは

バカ親というか熱すぎる親になってしまっていて

中学年代はどこで「やらせようか・・」になります。

 

 

 

この後の高校進学については、高学歴の親の場合

「サッカーは二番目の課題」になるので

「岐阜高校でFC岐阜」というのが一つの理想になり

 

学力的に岐阜高校、北高校が無理であるなら

G1である長良高校が一石二鳥の進路になります。

 

 

 

 

 

一方、子供たちは正常に心が成長していれば

小学校の高学年くらいから「親を激しく嫌悪」し始めます。

 

通常であれば、中二病を経ておおよそ高校一年くらいまでに

だいたいその「親嫌悪」の段階を通り過ぎ、おさまります。

 

 

おさまりますが、親から離れて自由に動くようになります。

 

 

 

 

 

親側からすれば「そもそも言うことを聞くハズない年頃」

という成長過程なので「殴ってでも教えなければならない」

ということ以外では、基本的にコントロール不能です。

 

なので、心配で仕方がなくてもひたすら堪える・・・

 

 

 

 

 

というような成長段階にあるので、親にとって

「高校サッカーを見る」ことは、祈るだけになります。

 

もう、全く自分の手を離れています。

親は何にもできません。もう、全く関与できません。

 

 

 

 

 

ただ、大人の人間としてメンタル上の指摘はできます。

(それしかしていない指導者もよく見かけますが・・・)

 

 

 

 

 

というような背景があるので

試合を見ている親は、ずいぶん心を振り回されるワケです。

 

なので、いい歳こいた保護者達がハラハラドキドキ

イライラムカムカしながら、黙って堪えながら試合を見て

結果がよければ大歓喜です。歓び爆発です。

 

 

しかも、加齢で心は動きやすくなってきてるし・・・

 

 

 

 

 

そういうことで、「高校サッカー」に一生懸命になっていた

時期が自分の人生の中にあった、、ということ自体が

とても豊かな時間を持つことが出来たのだった・・・

 

と、後々になって「良かったなあ」ってなるんですよね。。