新聞小説  「最後の一色」 | マタのブログ

マタのブログ

サッカー・・・やら親爺の独り言

今朝の朝刊の「発言 ~みんなの声~」です。

 

 

 

 

 

 

同年代の女性なのですが

 

>戦国史はもともと好きでしたが・・・

>相関図をメモしながら読み進め・・・

>一色五郎が登場してからは手に汗を握る場面が増え・・・

>続きが待ち遠しい・・・

>登場人物の各視点で臨場感たっぷりに・・・

>しかも立体的に語られる・・・

 

 

 

いやあ、全く同感です。

この女性の脳内では、映画のように進んでいるのでしょう。

 

 

 

どこのどなたかは知る由もありませんが

この女性となら、よい友人関係になれそうです。

(こういう女性と夫婦だったなら、さぞかし幸せな老後かと)

 

 

 

 

 

新聞小説って、やっぱり当たりはずれがあって

もちろん個人個人の好みの問題ではありますが

自分にとって、心地よい刺激がない小説は

読み続けるのが「罰ゲーム」のようであったりします。

(民放の「大奥」は、しばらく我慢したもののやはり無理)

 

 

 

 

 

二~三日前だったかの、誰かのセリフ・・・

 

 

 

 

 

 

こういう感じは、田舎の旧家系の家系には

ありがちかもしれませんが、おそらく戦国時代頃から

代々「矜持」のようなものとして受け継がれてきたのでしょう。

 

 

 

 

 

例えば、私は近しい親類の人たちに公言していますが

 

もし、今が令和の現代ではなく戦国以前の世であったなら

姉(〇ノ〇ヨ〇コ)をメッタ刺しにして斬り殺しているし

内通者に対しても同様である、、と。

 

この世には、許せること(範囲や限度)と許せないことがあり

仮に許せる範囲内のことであっても、相応の「手打ち」

がないのであれば、あるいはその気がないのであれば

その場で斬り殺していたのでしょう。戦国以前なら。

 

 

 

 

 

家康が、武田方の怪しい者と親密になった妻の築山殿と

同じく武田方と接触していたと思われる長男・信康に

切腹を命じましたが、証拠があったなどの史実はありません。

 

そう疑われるような行動をとったこと自体が

その立場にあっては、あってはならぬ許されないことです。

 

 

 

 

 

今は令和の世なので、私は姉を殺したいとは思いません。

 

ただ、私の中には先祖から受け継いだDNAもあるワケで

「許せるワケがない」とか「できればすぐに死んでほしい」

とか「すでに全く無関係」とか、そういったことは

私の中の深いところで、私のDNAが念じていると思います。

 

精神にひどい異常があろうが、知能にひどい問題があろうが

そんなことは関係ないですからね。被害者の気持ちには。

 

 

 

それにしてもひどい人間です。姉(〇ノ〇ヨ〇コ)は。

普通、絶対にできないようなひどいことを平然とやりますから。

 

同じきょうだいで、どうしてこんなに違うんですかね。。。