「話が通じる」という幸せ | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

先日、所用で初めて会う人と話す機会がありました。

 

 

 

初対面ですから、まずはお天気のことなど

一般的な挨拶をします。

 

その後、すぐに本題に入るかと言えば

我々のようにビジネスの世界で長く生きてきて

かつ、そもそも深く思考するタイプだったりすると

なかなか本題にはふれたがりません。

 

 

 

 

 

延々と雑談を続けます。

 

お互いに本題については重々分かっているので

まずは相手の脳内を把握したいワケです。

 

 

 

長い長い雑談の間に、ほんのちょっとだけ

「布石のようなワード」をちらしながらも雑談を続けます。

 

 

 

この雑談自体で、相手の本意をなるべく正確に知りたい・・・

 

人となりがぼんやりしてくれば

その人が本題に対してどういう印象を持つかも

何となく見えてくる・・・

 

 

 

ということで、延々と雑談が続きます。

 

 

 

 

 

で、、いつも感じるのですが

この雑談が何とも気持ちいいのです。

(もちろん、よい相手に巡りあったからですが)

 

もう、このままず~っと雑談を続けていたい、、という

しみじみとした幸せまで感じてしまいます。

 

 

 

 

 

生成AIの「大規模言語モデル」の件で

かなり明確になってきていますが

ポイントは自分と相手の「大規模レベル」が近いことです。

 

これが、、おしゃべりしていること自体が

ジャズのセッションでもしているように

互いに心地よく刺激されていて、これがおそらく

気持ちいいことの正体なんだろうと思います。

 

 

 

 

 

いつまででも、おしゃべりしていたい気持ちになります。

これが、まさに「幸せ」なことだと実感します。

 

こういう相手に出会えたこと自体が幸せなんでしょうね。

 

 

 

 

 

※他人の悪口や陰口くらいしか話題がないような

中身のないタイプの人には分からないかもしれません。

 

 

 

 

 

参照

 

 

 

 

この著者も「話が通じることは奇跡かも」と言っています。

著者自身が大規模言語モデルだから、、ではあります。

 

ですが、これほどまでの幸せを感じる、、のだから

とても幸せ、、ということです。