努力しても無駄  全ては遺伝で決まる  vol.2 | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

ここ数年で、科学的な技術の進展がめざましく

様々な新事実が明らかになってきました。

 

「ヒューマニエンス」などでは盛んに人間の正体を解説し

賢い人たちは盛んに事実を発信しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

我々、人間の正体はアデニンなど四種類の核酸塩基と呼ばれる

有機化合物の組合せによるDNAそのものです。

 

精密に組み上げられた機械のようであるし

例えば「感情」ですら、何かの法則に従って起動し

基本的には自動的に起きているだけの現象のようです。

 

 

ただ個体によって、保有する言葉の数が違うので

大脳皮質の働き方に差異があり、その差が現われるようです。

 

 

 

 

全てはDNAで決まる。

 

 

 

 

歳をとってからは、そう感じることの方が自然です。

 

「私は生かされている」という言い回しがあります。

これ、もう少し正しく表現するなら

「私の体内のDNAに、私は利用されているだけ」

という感じが実態に近いと感じます。

 

 

 

 

我が家は、父の実家の畑の中にあります。

大雑把に言えば、父の実家の敷地内、という感じ。

 

父の実家には、父の兄と弟が住んでいました。

 

 

 

 

私は小さい頃、「母親似」と認定されていました。

(そのために、母や母方の親戚にずいぶん可愛がられた)

母方はかなり「弥生系」で関西人とか韓国人的な容姿。

おそらく目の印象でそう見られていたのだと思います。

 

ですが、私の言動はなぜか父方とソックリでした。

また電話を通すと私の声と父の声は同じに聞こえるらしく

本当によく父と間違われました。(その逆も)

 

 

 

私が歩いている姿を遠くで見ていた父の弟が

「お兄かと思ったらお前か」とか

自転車に乗って畑に行く途中で、近所の親戚に

「お父さんかと思ったらアンタか」とか

そんなことだらけでした。

 

 

 

そして・・・

 

家庭菜園で畑仕事を始めてから気がついたのですが

何かの動作をしながら「俺、父の弟と同じ動作じゃん」

とか、車が目的地に到着する寸前にシートベルトを

外すタイミングが父とも父の弟とも全く同じとか。

 

あるいは、畑で処分に悩むモノの処理の仕方が

父とも父の兄とも父の弟ともほぼほぼ同じとか。

(最も顕著なのはクシャミとか痰の吐き方とか・・)

 

 

 

 

 

あるある、だと思いますが「絶対、父みたいにはならん」

とか、「イケてる若者だった自分はオジたちとは違う」

とか、同族嫌悪もあって絶対的な自信があったのに

気づけば「俺、オジたちと同じことやってるやん」とか

「結局、父親とほぼ同じ人生になってるやん」とか。

 

 

 

例えば、父は若い頃に株で大失敗をしています。

私はリーマンショックで資産の三分の二を失いました。

 

そんな風に、人生の中の色々なコトを振り返ると

時代が違うので事柄は違いますが根本的に同じことが

本当にものすごく多いように感じます。

 

 

 

自分の人生を自分が生きている、ように思っていても

実は、父も自分も「あるDNA」に振り回されていただけ、、

なのではないか、とかなりリアルに感じます。

 

父の兄も、父の弟も。

 

 

 

 

 

で・・・

 

イジメが日々の楽しみでやめられない人も

嫌がらせをされた人が困っている姿を見ることが

うれしくてうれしくて仕方がない人も

その人の体内のDNAによってそうなっているように感じます。

 

 

 

 

 

参照

 

 

(ユーチューブでご覧ください)

 

 

 

※この方の個人的な感想なので、あくまでもご参照までに