サナダさんが、この世から消えますように・・ | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

何気なく見始めたのですが、だんだん引き込まれました。

 

 

 

 

 

 

最後まで見切ったところで、なぜこのアニメ(小説)が

「本屋大賞」をはじめ様々に高い評価を受けているかが

何となく腹に落ちるように分かってきました。

 

 

 

以下、分かりやすい「考察」をはさみます。

 

 

 

 

 

 

「イジメる側」「イジメられる側」の問題については

個人的に、自己愛性人格障害者同士の裏表ではないか、、

という可能性も高い、と長らく推察していました。

 

私自身、毒親環境だったので「多分自分も人格障害傾向」

だろうと思ってきて、普段は抑制しているものの

回りの空気を無視した言動で摩擦を起こすことがあって

それに強く対抗してくるキーマンにも同じ匂いを感じ

おそらくこういう仕組みなのだろう、と。

 

 

 

また、多くの高学歴ユーチューバーが(誰もが知るような)

回りと摩擦を起こして嫌われることが多い、と言っていて

これが「空気を無視する」なら人格障害的だし

「そもそも空気が読めない」なら発達障害的だという点も

その意味では「なるほどな」と、以前は思っていました。

 

 

 

 

 

 

 
 
「サナダさん」ですね。
この世から消えますように・・・と、祈られて当然の
本当にひどい人間性の「嫌がらせ女」です。
 
このアニメでは、最後まで「サナダさんが悪である」
というスタンスを崩していません。
おそらくそこが多くの共感を生んでいるのだと思われます。
 
 
 
サナダさんは、中学を卒業しても、高校生になっても
若者になっても、オバサンになっても
おそらくずっと「嫌がらせ女」であって直りようがない、、
ことがよく伝わってきて、これがリアルであり現実なので
その「イジメ側にこびない」姿勢が評価されているのでしょう。
 
 
 

 
 
この「東条萌」のセリフが、実はこのアニメで最も重要で
最も伝えたかったポイントだったんだろう、と感じました。
 
 
 
「恋愛とか、目の前のことしか考えずに生きているバカ」
 
「そんなもんなんだよ、バカみたいだよね」
 
「たかが学校のことなのにね」
 
「負けないでね、こころちゃん」
 
「わたし今度こそ、嫌なものは嫌って言う」
 
 
 
 
 
 
このアニメ(と、原作の小説)によって
多少なりとも救われた人々が日本中にどれだけ多かったか
という点で、高く評価されているのだろうと思います。
 
 
 
 
 
 
喜多嶋先生は、ルーズソックスをはいていたアキ。
全くオタクではなく、快活なスポーツ系の井上晶子でした。
 
 
 
 

 

 

嫌がらせをする女は決して直らないしずっと悪いままなので

人間を性善説的に思いたい人々には非常に残酷ではあるが

決して分かり合えることはない、というのが現実であるので

互いに関わり合うべきではない、というテーゼが

 

多くの人々から高い評価を受けた、、ということですね。

 

 

この世の現実から目をそらさずに向き合った作品でした。