東京ディズニーランドは今年で40周年(昭和58年開園)を迎えるそうだが、三島由紀夫は
自決の年、昭和45年正月、11歳の長女と8歳の長男を連れ家族で米国ディズニーランド
に遊びに行こうと瑤子夫人に提案したが、夫人は「豊饒の海」を完成した後にしましょう
と断った。
【ロス近郊にあるディズニーランド】 【山中湖畔にある三島由紀夫文学館】
三島自身は、作家の三島由紀夫と、家庭人の平岡公威を日頃から厳密に使い分けている訳
だが、同夫人は 『私の結婚相手は平岡公威ではなく、実は三島由紀夫だったと思う』と
語っているが、ディズニーランド行きを断ったのは、正にその事を証明している。
三島は7歳の時に、新宿武蔵野館で「ミッキーマウス」の漫画映画大会を観に行った
のが最初のディズニー映画体験だったと映画評論家の小森和子との対談で明かしている。
昭和26年に三島は世界一周旅行に出掛けたが、三島は『船上で夕方の映画が楽しみで、
ディズニーの「バンビ」「シンデレラ」、米国文明生活の狂躁の象徴の様な「不思議の
国のアリス」そして酩酊のファンタジー「ダンボ」は私を大喜びさせた』と語っている。
其の後再度、三島は瑤子夫人と米国、欧州、中近東等11ヶ国への旅に出た。そして
昭和35年11月24日付けの川端康成宛の旅先からの手紙に米国での様々な体験、ロス
では共和党ニクソン大統領候補と同宿となり大変な思いをした云々書いているがその中
に『ディズニーランドはとても面白く、世の中にこんな面白い所があるかと思ひました』
と、楽しい時間を過ごした事を素直に吐露している。
しかし「…こんな面白い所があるかと思ひました」 との文章は文豪らしからぬ拙い文章
だと川端康成は、間違い無くそう思った筈。まるで子供の様にディズニーランドを手放し
で褒めている文壇の鬼才、三島由紀夫のオヤ!と云う一面を見た思いで大変興味深い。
(参考文献:三島由紀夫全集/倅三島由紀夫/川端康成三島由紀夫往復書簡/
川島勝著三島由紀夫/私の洋画遍歴/三島由紀夫研究年表)