生きる為には、お金が必要である。
 
 
この国に存在している成人である以上
税金を絞り取られる。
 
車を所有すると自動車税
家や土地を所有すると固定資産税
働くと所得税、買うと消費税
ガソリン税、酒税……
 
私のような低所得者でも、容赦なく絞り取られる世の中である。
 
 
 
そして、自身の欲を満たす為に更にお金が必要なのだ。
 
 
お金があれば、好きなことが出来、好きなモノを手に入れ、食べたいモノが好きなだけ食べられる。
 
 
その為に必死に働いてきた。
 
「お金」を得る為に┉┉
 
 
「お金」がなければ何も出来ない
 
と、いう洗脳から解き放たれた時
 
「お金」との関係性がガラリと変わった。
 
 
 
 
 
「お金」に執着していた若き頃の自分
 
 
 
 
ヒトは生きて行くうちに、様々なモノや事に執着し、依存するようになる。
 
 
便利でラクな家電
宗教やスピリチュアル
情報を得る為のテレビやインターネット
 
 
働きざかりの若い人々は、コスパやタイパを最優先し、その為には便利、簡単、ラクを躊躇なく選択する。

「頑張っている自分にご褒美」という名目で便利やラクをお金と交換している。だから、いつまでも「お金」だけを追いかける。

 
はたまた高齢者たちは、若い時苦労したからと言う理由で、便利、簡単、ラクを躊躇なく選択する。
 
これが自分の周りの現実だ。
 
もちろん、少数だかそうでは無い人々もいる。
 
 
これは良い悪いということではなく、過去の自分も含め、完全に「お金」の奴隷になっている事にある時、気がついた。
 
 
言葉は悪いが、「お金様」の下僕となり、「お金様」の為なら国民をも欺き、悪魔に魂を売り渡す輩もわんさかといる今の世┉┉
 
 
で、自分はどうなのだろうか、と考えた時期があった。
 
 
どんなことも外側で見せられる世界は、自己を省みるいいキッカケになる。
 
 
お金はある程度必要だけど、お金に執着しすぎてはいないか?
 
 
執着や依存、ちょうどあの頃だ。
人間関係でも執着すると、それまでの素敵な関係性が瞬時に崩壊することがある。
追われすぎると、逃げたくなる(笑)
 
モノでもヒトでも「距離感」は大切。
 
 
「お金」をひとつの存在だと見なし、「お金」との距離感や関係性を見直した。
 
 
話は逸れるが
生き金、死金というのがある。
 
自分の人生の時間を削り得た大切な「お金」は、生き金として使用することに意識した。
 
生き金に使われると、お金たちも喜んでくれる。
 
どうせ使うなら、死金にはしたくない。
 
 
 
どんなモノたちも大切に扱い、どうしてもダメなら「お金」を使用する。
「お金」を使うのは最後の最後。
 
バケツで汲んで洗濯やトイレの水、雨が降らない時は、庭の撒き水に使う。自分のだから汚くない(笑)
 
畑の撒き水に使うのは、別の理由もある。
自分の汗から私の体の情報を植物たちに読んでもらうため。
 

アナスタシアが、種を口に含んでから蒔くというのを読んで、やっている。

 

 

 

 

 

私は、「お金」の奴隷にはなりたくない。

 

「お金」とは同じ立ち位置でいたいし、「お金」に対し、長い時間を掛けて尊重するようになった。

 

 

「お金」も大切、でも自分も大切、モノも大切、ヒトも動物もこの大自然も全てが大切。

 

上も下もなく、人間だけがすごい訳でもない。

 

自然の摂理を知ると人間などちっぽけだと、思い知らされた。

 

 

全てはバランスなのだと。

 

 

 

お金との関係性を見直し、自然との関係性を構築すると、不思議とお金が自然と貯まるようになった。
 
執着をやめたから、逃げて行かなくなったのかもしれない。
 
 
 
 
魚を貰えたり、山菜や野草があるから、食費はほぼ掛からない。
 

 

 

 

 

 

 

 

 



 
 
「お金」は有っても困らないが、それほどなくてもいい。だから、ガツガツ働くのはやめた。
 
 
今はお金よりも自然に夢中な私…………
 
自然にも執着しないように、程よい関係性でいたいと思う。
 
 
 
 
 
※いつも読んでくださる皆様へ
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また、こんな変わった私にメッセージを下さった方々、本当にありがとうございました。
素直に嬉しかったです(*^_^*)
 
いつもありがとうございます(*^_^*)