雪舟伝説② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

京都国立博物館で見た「雪舟伝説」の続きです。以下の文章は展覧会の公式サイトから引用しました。

 

 

  第4章 雪舟伝説の始まり

 

近世における雪舟神格化の動きに最も大きな役割を果たしたのは、狩野探幽(1602~1674)です。探幽の画風は、狩野派のみならず江戸時代絵画全般の一つの共通基盤となりましたが、その探幽が自らの画風を形成するにあたり拠り所としたのが雪舟だったのです。

 

 

本章では、探幽をはじめとする江戸時代の狩野派作品を通して、雪舟作品の主題・様式が継承されてゆく様相を確認しました。

 

《山水図屏風》

狩野探幽筆 江戸時代(17世紀) 京都・長福寺蔵

 

探幽の若い時期、まだ「采女」と称していた頃の作品です。その描法は明らかに雪舟に学んだもの。探幽が自己の様式を確立するうえで、雪舟画の学習がいかに重要な役割を果たしたかがわかります。

 

 

 

 

《富士山図》

狩野探幽筆 江戸時代(17世紀)

 

探幽が数多く描いた富士山図のなかでも、破格のサイズを誇る大幅です。余白を広く取り、淡墨を主体とする表現は探幽ならではですが、その構図は明らかに伝雪舟筆「富士三保清見寺図」を踏襲したものです。しかるべき大名の求めに応じて制作されたと考えられます。

 

 

 

《富士三保清見寺図屏風》

狩野山雪筆 江戸時代(17世紀)

 

同じ狩野派画家でも、京都で活躍した山雪(1590~1651)は、その立場も画風も探幽とは大きく異なっていました。この作品も、悠々と裾野を広げるシンメトリーな富士山の形や、モチーフをくっきりと輪郭する描法など、探幽の富士山図とは全く違う、山雪らしさに満ちています。にもかかわらず、その根底にあるのは伝雪舟筆「富士三保清見寺図」なのです。

 

 

 

  第5章 江戸時代が見た雪舟

 

江戸時代には、現在知られているよりもずっと多くの「雪舟画」が流通していました。もちろん、それらのすべてが雪舟の真筆であったわけではないでしょう。しかし、現在では雪舟筆と認められていない作品や、所在が知られない作品も、当時は雪舟画として受容され、画家像の形成に一役買っていたのです。

 

 

 

本章では、狩野派画家が残した縮図や模本を通して、江戸時代の人々にとっての雪舟画を探りました。

 

《探幽縮図 雪舟筆自画像模本》

狩野探幽筆 江戸時代(17世紀) 京都国立博物館蔵

 

 

  第6章 雪舟を語る言葉

 

雪舟は、作品そのものがもつ力だけでなく、さまざまな人々が雪舟について語る言葉、言説によって、いっそうその存在感を高めていきます。特に作品の図様を含めた情報の伝播という点で、出版物の果たした役割はきわめて重要です。江戸時代、雪舟はどのように語られてきたのでしょうか。

 

 

ここでは、版本や手紙をはじめとする文字資料を手掛かりにその実態を探りました。

 

《上嶋源丞宛書状》

尾形光琳(1658~1716)筆 宝永5年(1708) 奈良・大和文華館

 

 

《雪舟筆山水図写》

尾形光琳筆 江戸時代(18世紀) 奈良・大和文華館

 

 

  第7章 雪舟受容の拡大と多様化

 

雪舟の伝説化に寄与したのは狩野派ばかりではありません。狩野派のように、漢画(主に宋・元の中国絵画に学んだ絵画)をもっぱらとした画家だけでなく、江戸時代の多くの画家が様々な観点から雪舟を規範として仰ぎ、それが「画聖」雪舟という現在の評価へと確かに繋がっているのです。



 

《富士三保図屏風》

曾我蕭白(1730~1781)筆 江戸時代(18世紀) 滋賀・MIHO MUSEUM蔵

 

三保松原に虹が架かるという表現が、非常にユニークです。荒々しい筆墨や奇妙な形の富士山などに蕭白らしさが顕著ですが、構図は明らかに伝雪舟筆「富士三保清見寺図」を踏襲しています。

 

右隻

 

左隻

 

 

《富士三保松原図》

原在中(1750~1837)筆 江戸時代 文政5年(1822) 静岡県立美術館蔵

 

超絶的な細部描写に圧倒される作品です。落款に「久能山」(久能寺を指すか)からの眺望であることが記されており、自らの視覚体験に基づく絵であることが示されています。にもかかわらず、その構図には伝雪舟画の影響が明らかです。

 

 

 

《駿州八部富士図》

司馬江漢(1747~1818)筆 江戸時代 寛政元年(1789)

 

江漢は、江戸から長崎へ向かう旅の途次、久能寺(現在の鉄舟寺)から富士山を望み、これこそ、かつて雪舟が見た景色だと確信しました。本作には、雪舟と同じ富士山ビューポイントに立ったという感動と、その発見者としての自負が綴られています。

 

 

 

《竹梅双鶴図》

伊藤若冲(1716~1800)筆 江戸時代(18世紀) 東京・出光美術館蔵

 

若冲や同時代の画家たちは、中国の比較的新しい時代の絵画に強く関心を寄せていました。しかし、一方で古い日本の絵画も学んでいたことは間違いなく、この作品にも雪舟筆「四季花鳥図屏風」との類似点が見られます。

 

 

 

《十六羅漢図(十六幅のうち)》

山口雪渓(1648~1732)筆 江戸時代(17〜18世紀) 京都・善導寺蔵

 

雪渓という号は、雪舟と牧谿(宋末元初の画僧)から一字ずつ取ったものと伝えられています。画風は必ずしも雪舟風とは言えませんが、その名乗りには、雪舟に対する強いリスペクトが表れています。

 

 

 

 

《初宮参図巻(部分)》

勝川春章筆 江戸時代(18世紀) 北海道・似鳥美術館蔵

 

若い娘の見合いに始まり、婚礼、夫婦の営みと出産、そして初宮参りまでを描く春画巻。高位の武家と思しい屋敷の寝室には、雪舟の山水図が掛けられています。雪舟の画が、一種のステータスシンボルとなっていた様子がうかがえる興味深い作品です。

 

 

 

 

 

  番外編 その他主要画家

 

桜井雪館(1715~1790)

「雪舟十二世です。知らんけど」。門弟に画の教えを説いた『画則』は、雪舟受容の点からも重要。

 

《富士三保松原図》 江戸時代(18世紀)

 

 

円山応挙(1733~1795)

「写生」だけが応挙じゃない。古い絵もたくさん勉強しています。

 

《山水図》 江戸時代(18世紀) 東京・三井記念美術館蔵

 

 

酒井抱一(1761~1828)

実は色々な絵を勉強。宗達や光琳だけではありません。友達の谷文晁とも情報共有か。

 

《雪舟筆金山寺図模本》 江戸時代(18~19世紀)

 

 

狩野芳崖(1828~1888)

山水長巻を雪舟の最高傑作とする認識は、岡倉天心とフェノロサへ継承されて近代へ。

 

《寿老人図》 明治時代(19世紀) 静岡県立美術館蔵


 

 

雪舟が後世の画家に慕われ、画聖として崇められていった事がよく分かる展覧会でした。それから、中学の歴史の勉強で植え付けられた「雪舟=山水図」という固定概念も、国宝6点のうち4点が山水図という事から、あながち間違いではなかったようです。

 

 

おわり