Colorful JAPANー幕末・明治手彩色写真への旅 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

4月30日(火)神戸市立博物館。「Colorful JAPAN-幕末・明治手彩色てさいしき写真への旅」を見に行きました。

 

 

なんだか不気味なポスター。どうしてこういう怪しげな人物写真が出来上がるのか不思議でなりません。

 

 

館内はフォトスポットが点在。その効果もあってか、大学生ぐらいの層が目立ちました。

 

 

それでは展覧会の内容です。以下の文章は神戸市立博物館のHPからの引用しました。

 

 

  概要

 

日本の開国後、幕末から明治時代にかけて、これまで交流のなかった諸外国の人々が、来日するようになりました。

 

 

未知の日本文化を目にした彼らの需要に応え、フェリーチェ・ベアト、ライムント・フォン・シュティルフリート、臼井秀三郎うすいしゅうざぶろう日下部金兵衛くさかべきんべえ、アドルフォ・ファルサーリ、玉村康三郎たまむらこうざぶろうらの写真館では、日本の名所や風俗を撮影した写真を販売しました。

 

 

それらの写真はしばしば、1点1点精緻に彩色され、カラー写真と見紛うような「手彩色写真」に仕上げられて、豪華な蒔絵表紙のアルバムに綴じ込まれました。

 

 

被写体の選定、巧みな構図と美しい彩色は、現実の日本そのものではなく、東洋の神秘「JAPAN」のイメージを作り上げていきます。 

 

 

  プロローグ

 

本展に登場する「色の着いた写真」は全て、幕末・明治期の「手彩色写真」です。当時はまだカラー写真が実用化されておらず、花も木も着物の柄も髪の筋も、モノクロ写真を1点1点丁寧に手作業で絵の具を塗って仕上げています。

 

 

まず始めに、明治時代の女性の後ろ姿を例に、彩色前のモノクロ写真と彩色後の手彩色写真を比較しました。

 

 

彩色前後の写真を比較すると、色を着けることで髪や着物の皺が際立たせられていることが分かります。また、帯の鮮やかな模様には筆運びの跡が残っています。

 

 

  Ⅰ 手彩色写真の制作

 

 

第1章では、手彩色写真を制作した写真家や、彩色作業に従事した絵付師、実際の作業に使われた絵の具や器具などの関連資料を見ました。
 

《PANORAMA OF RYOUNDO’S STORE, KOBE》

神戸の名勝地「布引の滝」付近にあった手彩色写真を売る写真館「凌雲堂」を、現存する煉瓦造アーチ橋「砂子いさご橋」とともに収めた写真。凌雲堂では布引の滝見物に来た外国人に向け、写真の撮影、販売をしており、敷地内には休憩・撮影スペースに用いた庭がありました。

 

 

《写真着彩用油彩絵具「ボシュロム」》

写真着色のための絵の具。6色の絵の具の小瓶にはそれぞれ色名のラベルが貼られ、ガラス蓋で全体が覆われています。

 

 

《シュティルフリートの絵付師》

シュティルフリートの写真館にて、絵の具の入った皿を持ち、厳めしい顔でポーズをとる和装の男性。掛け軸や絵付けの資料と思われる和綴じ本に囲まれた机の上には写真が置かれており、彼が日本人絵付師であることを示してます。

 

 

  Ⅱ「JAPAN」の人々

 

第2章では、日本の人物、習俗を活き活きと伝える手彩色写真、鮮やかで精緻な色付けがなされた作品を通して、製作者の意図を分析しました。

 

日下部金兵衛《WRITING LETTER》

行灯あんどんの前に座る女性が手紙をしたためています。訪日外国人にとって、縦書きの文章は異国情緒を感じる要素の一つでした。周囲を落ち着いた色に、着物や座布団をパステルカラーに彩色することで、女性の存在感が際立っています。

 

 

日下部金兵衛《GENERAL》

「GENERAL」は「将軍」を意味します。右手に「采配」を持ち威儀を正す、位の高い武将をイメージして撮影した演出写真です。実在の武将より派手な衣装ですが、兜や鎧の紐、着物の柄の1つ1つに至るまで丁寧に彩色されています。

 

 

  Ⅲ「JAPAN」の風景

 

手彩色写真でよみがえる、幕末~明治の風景。日本の風景を撮影した手彩色写真について、カラー写真であるかのように美しく彩色された作品から、当時の訪日外国人が特に愛着やこだわりを抱いた場所に注目しました。

 

日下部金兵衛《「神戸名所写真帳」より「KOBE」》

神戸外国人居留地の海岸通(現在の国道2号線の位置)を海から撮影した写真です。海岸通には領事館や銀行、貿易商などの西洋風の建築が軒を並べており、海沿いには緑地帯が造成されて美観を誇りました。

 

 

日下部金兵衛《FUJIYAMA FROM OMIYA VILLAGE(富士山)》

散在する人家の奥に雄大な富士山を望む写真。タイトルの「OMIYA」は今の静岡県富士宮市付近を指します。立っている人々はカメラ目線で、偶然居合わせたというよりは撮影のためのエキストラの可能性が高いです。

 

 

  エピローグ

 

最後に明治の手彩色写真の逸品を見ました。制作者不明なのが残念です。

 

太夫たゆう

襟を返して内側の赤色を見せ、帯を前結びにし、豪奢な髪飾りをふんだんに付けるという装いから、花街の妓女の中で最高位の太夫の写真と考えられます。上着と帯の柄はもちろんのこと、髪の1筋1筋、髪飾りの1本1本、内側に着ている衣にうっすらと見える地の模様に至るまで、極めて丁重な彩色が成されています。

 

 

  感想

 

手彩色写真にはカラー写真にない味があり、展示物をいろいろ見ていると、あたかも幕末から明治時代にタイムスリップしたような気分になりました。

 

 

古写真を歴史的資料として見た事は何度もありますが、写真そのものに着目したのは初めてです。明治時代と昭和初期の景色ってさほど変わりないのではと思ったりしました。

 

 

5月19日(日)まで。展示室が1フロアで、特別展にコレクション展の料金を含むような商売っ気もないので、1時間あれば充分周れます。