いつも兵庫県立美術館のコレクションギャラリーは別途料金がかかり、入館しないのですが…。今回は安井仲治の写真展に関連する展示があるという事で、入りました。
「美術の中の物語」興味をそそられるタイトルです。物語は7つに分かれていました。今回は第1章を振り返ります。以下の文章は展示パネルから引用しました。
Ⅰ 私たちの物語
神話や聖書、歴史的な出来事など、物語の中には多くの人に知られ、共有されているものがあります。明治以降の作家にとって、そうした物語を視覚化することは重要な課題でした。そこには、様々な制約が存在しますが、一方で画家たちは作品化に際してさまざまな工夫や独自の解釈を行いました。
例えば、神中糸子(1860~1943)の《桃太郎》は、桃太郎伝説の冒頭の場面を描いた作品です。桃太郎は、明治時代の中頃、昔話というより教訓的説話として国定教科書に掲載されていました。本作で神中は、川を流れる桃を小さく描くことで、ファンタジーを回避しています。
また、時として物語を視覚化するという行為自体が意味を持つ場合もあります。和田三造(1883~1967)の《朝鮮総督府壁画画稿(1926年頃)》は、木こりが天女と結婚するという朝鮮半島の伝説を主題としています。天人との婚姻譚は日本にも見られ、これを朝鮮総督府の壁画としたことは、日本と朝鮮半島の文化的融和を目指した当時の政策と無関係ではないでしょう。
他、第1章で見た作品です。
北村四海(1871~1927)
《橘媛》1915年
本作は日本武尊の物語中にある、弟橘姫の入水を題材としたものです。日本武尊の物語は、明治時代中期には教科書に掲載されており広く知られた物語でした。本作では本来は物語に登場しないはずの人魚が造形されており、同時代の絵画表現などとは全く異なる図像表現となっています。
天岡均一(1875~1924)
《国土生成神青銅像》1915年頃
神話において日本の国生みは、イザナギとイザナミが天の浮橋の上に立ち、天沼矛を用いて混沌とした地上をかき混ぜ、矛から滴った滴がつもってオノコロ島が形成されることから始まります。二柱の神を彫刻した本作は、日本神話における国生みの神であるイザナギノミコトとイザナミノミコトの姿を現したものと考えられますが、天沼矛に当たる部分が見当たりません。
《住吉明神銀像》1916年頃
斎藤与里(1885~1959)
《春》1918年
様々な花が咲く丘の上、画面左には裸体の女性が2人、画面右にはヴァイオリンと笛を演奏する男女が配置されています。非現実的な情景が広がる本作は、西洋古典の神話的世界を思わせる一方で、描かれた人物の顔立ちは東洋的です。こうした神話的な世界や明るく淡い色彩には1906~08年にかけてのパリへの留学中に接したビュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画からの影響が現れています。
新井完(1885~1959)
《鹿の本生譚》1927年
「鹿の本生譚」は釈迦の前世の物語である『ジャータカ』に登場する逸話です。クマーラ・カッサバ尊者の母は出家後に妊娠が発覚し、戒律を破った疑いをかけられましたが、釈迦に頼って潔白が証明されます。ある日、講堂で比丘たちがその話をしていると、釈迦は前世でニグローダと呼ばれる鹿の王だった時、妊娠した雌鹿をすくったことがあり、その雌鹿がクマーラ・カッサバ尊者の母の前世であると語りました。本作は前景と後景で現世と前世を描き分けているものと思われます。
不動立山(1886~1975)
《朝顔日記深雪之図》1911年
『朝顔日記』は、江戸時代に成立した人形浄瑠璃および歌舞伎の物語『生写朝顔話』の通称であり、防州大内家のお家騒動を背景にした、宮城阿曽次郎と芸州岸戸家の家老、秋月弓之助の娘、深雪との恋物語です。本図は大井川を越えて岡山に向かう阿曽次郎を追おうとするも、雨で川を渡ることができず悲嘆にくれる深雪の姿を描いています。
青山熊治(1886~1932)
《高原》1926年頃
本作の評価は賛否両論でした。理由の一つとして、主題が不明慮な点があったようです。しかし一方で、装飾的な壁画を多く残したフランスの画家、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの影響を指摘し、評価する声も数多く存在し、1926年の帝展西洋画部で特賞に選ばれました。
中山正實(1898~1979)
《夕空の聖母》1955年
《黙示録の騎士》1957年
《黙示録の天国》
岡本神草(1894~1933)
《アダムとイブ》
アダムとイブは旧約聖書に登場する最初の人間で、エデンの園に住んでいたがその中心にある知恵の木の実を食べたことにより、エデンの園を追放されます。本図は知恵の木の実を食べる前の楽園での牧歌的な生活を、ゴーギャンに影響を受けた強い輪郭線や簡素な形態で描写したものと考えられます。
田中忠雄(1903~1995)
<ゲッセマネ三題>1958年
ゲッセマネはエルサレムのオリーブ山の麓にあった地名であり、新約聖書に見られる「イエスの捕縛」の舞台です。田中忠雄による本作は、ゲッセマネでの《イエスの祈り》、ユダが口付けをして兵士たちに合図を送り《イエスを売る》場面、そして兵士たちが《イエスの捕る》の三つの画面で構成されており、新約聖書の記述を忠実になぞったものと言えます。
《イエスの祈り》
《イエスを売る》
《イエスを捕る》
知らない作家ばかりで新鮮でした。特に、北村四海の《橋媛》は、アングルを変えると別の表情が見えて面白かったです。
つづく