安井仲治 僕の大切な写真① | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

2月3日(土)兵庫県立美術館。

 

 

「安井仲治なかじ 僕の大切な写真」展、土曜日なのにガラガラでした。

 

 

安井仲治(1903~1942)は、今からおよそ百年前、大正期から太平洋戦争勃発に至る激動の時代を生きた写真家です。38歳の若さでこの世を去ったので、知名度が低いのでしょう。

 

 

私自身、この展覧会を見る予定は無かったのですが、テート美術館展でハナヤ勘兵衛の作品を見た関連で、足を運んだ次第です。

 

 

展示室入った所に、安井仲治愛用のカメラがありました。ライカⅢBとローライフレックスです。

 

 

それでは内容に入ります。以下の文章は展示パネルから引用しました。

 

 

  Ⅰ 1920s:仲治誕生

 

明治36年(1903)12月、大阪の豊かな商家に生まれた安井仲治。明星商業学校在学中にカメラにのめりこんだ彼は、卒業後も家業の安井洋紙店に勤務しつつ写真を続ける。

 

 

そして10代末には、関西有数の歴史と伝統を誇る写真同好会、浪華なにわ写真倶楽部に入会を果たす。

 

 

当時は芸術表現としての写真、すなわち「芸術写真」と今日総称される写真を追究する機運がアマチュア写真家の間で高まっていた。その具体的な方法のひとつに、顔料でイメージを形作るピグメント印画がある。

 

 

多くのアマチュア写真家が、印画時に手作業で顔料を少しずつ乗せる、あるいは不要な部分を削除する等の操作に取り組み、手工芸的な情感を与えようとしたり、様々な様式の「絵画的」表現を試みた。

 

 

安井もこの時代に活動を始めた。例えば《クレインノヒビキ(1923)》の船舶の鈍い輝きやもうもうとした蒸気は、ピグメント印画の一種であるブロムオイル特有の表現である。

 

 

また、陶磁器を重厚に写した《花と花びんの静物(1926)》のように、東洋的美意識に基づいた重厚な写真も発表している。

 

 

さらに彼は扱う主題を拡張させ、社会的文脈を備えた作品をも制作した。例えば、猿回しを撮った写真(1925)では、猿回しのみならずそれを見つめる人々の視線も俯瞰して捉えている。

 

 

 

安井は、これらの作品で高く評価され、20代前半にして浪華写真倶楽部の指導的立場となる。また大規模な写真の公募展にも続けて入賞し全国的に名前を知らしめた。

 

 

やがて安井は、浪華写真倶楽部の実力者である米谷こめたに紅浪こうろう梅阪うめさか鶯里おうり望月もちづき蘆都ろとと共に銀鈴社ぎんれいしゃというグループを結成する。

 

 

第1章では1920年代の初期作品を見ました。力作揃いで、安井青年がアマチュア写真家として精力的に活動してきた事が窺えます。

 

 

《分離派の建築と其周囲》1922年

安井仲治が東京旅行中に上野で開催された「平和記念東京博覧会」の動力機城館を撮影したもの。当時最新の分離派建築がソフトフォーカスで豊かな諧調と共に写し出されている。

 

 

《都会風景(1)》1922年頃

 

《都会風景(2)》1922年頃

 

 

《駅頭の昼》1922年

浪華写真倶楽部に18歳で入会した安井が発表した作品。手前の白い道路と駅舎が斜めの構図を形作り、車輪と人がアクセントになっている。大阪駅で撮影され、写真右下に「at Umeda Station July 1922 Nakaji Yasui」とある。

 

 

《西大阪所見》1923年

 

《盛夏偶見》1923年

 

《日没の前》1923年

 

《秋風落漠》1922年頃

 

《甲板偶見》1924年

 

 

《或る学生の像》1926年

学生のしかめっ面や、体をねじったようなポーズがユニーク。モデルは安井の弟、堅治ではないかと考えられる。本作は「危ないような危なくないような画(田中雨月『写真界』1927年1月)」だと発表当時から評価されており、安井が若くして人物表現をものにしていたことが伺える。

 

 

《或る船員の像》1927年

安井は経済的に恵まれた暮らしを送っていたが、肉体労働者をはじめ自分とは異なる立場の者も撮影している。船員を被写体とした本作もその一つ。安井は「彫刻的な感じ」「エッチングと云うようなもの」に念頭を置き、ブロムオイルで日焼けした肌を重厚に印画している。

 

 

《童女スケッチ》1927~28年

 

《童女スケッチ》1928年

 

《村之児》1927年

 

《小供》1929年

 

《横たわる女》1930年頃

 

《農夫》1927年

 

《肖像》1929年

 

 

《農夫喫煙》1927~28年

銀鈴社の第1回展覧会のポスターに掲載された一枚。農夫の頭から背中のなだらかな曲線、腕が作る直線、その筋肉の隆起といった身体表現が際立っている。

 

 

《村径之図》1926年

画面手前を覆う影と中景の壁に当たる光のコントラストに促されて、視線が奥へと導かれる。「味をねらって」渋い黒の絵具を多く盛って印画したもので、ひなびた村の風状が趣深く表現されている。本作は、第1回日本写真大サロン(朝日新聞主催)にて約2000点の応募作品の中から特選三席に選ばれている。

 

 

《夕べ》1926年

 

《路傍閑語》1928年

 

《雨もよひの日》1927~28年

 

《秋》1926年頃

 

《野末の秋》1927年

 

《静物》1927年

 

《頸飾りをした踊り子》1926年

 

 

次に続きます。