テート美術館展 光④ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

大阪中之島美術館で見た「テート美術館展 光」の続きです。以下の文章は、公式サイトと展示室のパネルから引用しました。

 

 

  電灯の発明と普及
 ー様々な方法で光を扱うアーティストたち
鑑賞者は作品の一部となる

 

19世紀半ばに発明された電球は20世紀以降、生活に浸透し、産業の発達に伴いネオンサインなど広告にも利用されるようになりました。そうした社会状況を背景に、第二次世界大戦後に出現したのが人工の光そのものを素材とするアーティストたちです。

 

 

コンセプチュアル・アートの先駆者スティーヴン・ウィラッツによる4色の光をコンピューター制御した《ヴィジュアル・フィールド・オートマティック No.1(1964)》。

 

 

プログラミングした光を絵画に照射し、色との相互作用を見せる、ピーター・セッジリー(1930~)による《カラーサイクル Ⅲ(1970)》。

 

 

都市生活を送る人々が光と色をどのように経験するのかに着目したデイヴィッド・バチェラー(1955~)による《私が愛するキングス・クロス駅、私を愛するキングス・クロス駅  8(2002~07)》。

 

 

同じくデイヴィッド・バチェラーによる、色鮮やかなライトボックスを用いた作品《ブリック・レーンのスペクトル 2(2007)》。

 

 

また、ジュリアン・オピー(1958~)は《トラック、鳥、風(2000)》で、自らが撮影した自然や都会の風景をデジタル加工し、アニメやコンピューターゲームの画面を思わせる視覚世界を展開しています。

 

 

アメリカにおけるライト・アートの先駆者であるダン・フレイヴィン(1933~1996)は、1960年代、市販の蛍光灯だけを用いて彫刻やインスタレーションを制作しました。

 

《ウラジーミル・タトリンのための「モニュメント」》1966~69年

 

 

このような光の持つ新たな可能性は、すぐさま新しいタイプの彫刻やインスタレーションへと発展し、ジェームズ・タレル(1943~)のようなアーティストの表現手段となりました。

 

《レイマー、ブルー》1969年

 

 

フレイヴィンは作品において光の日常性を主張するのを好んだのに対し、タレルのインスタレーション作品は自己内省と熟考を生み出すことを意図しており、鑑賞者に見るというプロセスと知覚の限界を意識するよう促しています。

 

 

オラファー・エリアソン(1967~)も同様に、鑑賞者の立つ位置によって展示空間の様子を変化させるという手法を用いて、私たちの行動がどんなに小さなものであっても、周囲の世界に影響を与えているということを思い起こさせます。

 

《黄色VS紫》2003年

 

 

  光 ー 宇宙の広がりと儚さ、そして宇宙における私たちの居場所を探る方法

 

ヴィヤ・ツェルミンシュ(1938~)は、海、空、銀河、砂漠といった私たちになじみのある題材を描いています。しかし彼女が扱うことで、それらの題材は見慣れないものへと変化を遂げました。

 

 

グレーを基調としたトーンで、独自のイメージを細部まで緻密に描き出しており、海、空、銀河、砂漠、自然界の表層のテクスチャーが画面を完全に埋め尽くしています。遠くから鑑賞すると、これらの作品には虚無感が漂っているようです。

 

《銀河》と《空》1975年


《砂漠》と《海》1975年

 

 

オラファー・エリアソン(1967~)の《星くずの素粒子(2014)》は、照明の条件や鑑賞者の立つ位置によって表情を変える彫刻作品です。部分的に反射するフィルターガラスが、受けた光を周囲に映し出し、その結晶構造は、爆発した星の残骸である星くずの素粒子を大きく拡大したような形を思わせます。

 

 

 

やはり私は外でイルミネーションを見る方が好きですね。理科の実験っぽい展示で、作品を通じて何を伝えたかったのか、謎でした。

 

 

特設ショップでは、展示作品をモチーフにしたWクリアファイルを購入。こうして目録やチラシが溜まっていきます。

 

 

芝生広場に、水都大阪を象徴する、SHIP(船)とWATERDROP(水滴)をイメージしたステンドグラスのようなオブジェ。

 

 

ヤノベケンジ(1965〜)による《シップス・キャット(2021)》もライトアップ中。不気味なオーラを放っていました。

 

 

それにしても、イルミネーションとライトアップの線引きも難しいですね。

 

 

テート美術館展の話はこれで終わります。最後までお読みくださり、ありがとうございました。