テート美術館展 光③ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

大阪中之島美術館で見た「テート美術館展 光」の続きです。以下の文章は展示室のパネルから引用しました。

 

 

  モホイ=ナジ・ラースローの考え 写真と映画ー芸術に新しい「光の文化」をもたらすもの

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)は、生徒のために光線の反射や屈折、影の生成を示す図解を用意し、それまで視覚芸術で再現されることのなかった視覚的な感覚を捉えることを可能にしました。

 

 

ターナーを「称賛すべき先達」と称したハンガリーの作家、モホイ=ナジ・ラースロー(1895~1946)は、このような実験の歴史に触発され、写真が絵画の最も革新的な側面をも追い越すことができると考えたのです。1923年にはドイツの前衛的な芸術学校であるバウハウスに参加し、教室にも携わるようになりました。

 

《K Ⅶ》1922年

 

《光の戯れ 黒、白、灰色》1930年

 

 

また、モホイ=ナジの影響は、暗室における実験と抽象的な像に重点を置いたケペシュ・ジェルジ(1906~2001)やルイジ・ヴェロネージ(1908~1998)のようなアーティストにまで及び、その範囲は大きく広がりをみせました。

 

ルイジ・ヴェロネージ

《運動の習作》1941年

 

 

モホイ=ナジ同様バウハウスの教師であったヨーゼフ・アルバース(1888~1976)は、色彩は見る人の知覚に依存するとして、生徒に陰影をつけず純粋な線を使うよう指導しました。彼らが制作したイメージは、光がさまざまなものに反応して、どのように反射、屈折、散乱するかを探求するものでした。

 

《正方形讃歌のための習作 黄色の展開》1964年

 

 

このような考え方は、世界中のアーティストが写真という媒体を通じて光の実験をし、光について考察をしたことで広まっていきました。モホイ=ナジは、構造であれ質感であれ現実としての表れを、純粋な光の現象に変えてしまう写真特有の性質を称えました。こうした取り組みはこの時期の実験写真における光と影の強調に反映されています。

 

 

日本の写真家・ハナヤ勘兵衛(1903~1991)は、光シリーズで様々な動きや仕草を光と影によって抽象化する実験を行うため、通常よりも長いシャッターを開くことで動く物体の軌跡を不鮮明な像として残すことができる「長時間露光」という手法で制作しました。その結果、光の痕跡が画像上を移動する斜めの線として現れています。

 

《光A》1930年

 

《光B》1930年

 

《光C》1930年

 

 

ハナヤ勘兵衛は中山岩太、松原重三、高麗清治らと共に1930年に「芦屋カメラクラブ」を創設したことでも知られ、同クラブは1942年に解散するまで日本を代表する前衛写真のグループとして活動しました。

 

 

  光の動きの印象をつくりあげる、様々な方法―1

 

ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)は自身の作品を、直接的な表現を超えて、音楽鑑賞のように鑑賞者が参加できるようなものにしたいと考えていました。作品に動きの感覚を生み出すことを目指しており、そのためには色が不可欠な要素であると考えていました。

 

《スウィング》1925年

 

 

ブリジット・ライリー(1931~)は、幾何学的な形と色を用いて知覚の性質を探求しています。ライリーによれば、異なる色調の使用は「テンポ」の変化のためで、「形式的な動きの構造にあらがって」色合いが調整されているのです。

 

 

1993年に制作した《ナタラージャ》は、通常、多くの腕を持つ者として描かれる宇宙の踊り手、ヒンドゥー教の神・シヴァ神に言及するものです。

 

 

  光と動きの印象をつくりあげる、様々な方法ー2

 

マーク・ロスコ(1903~1970)、バーネット・ニューマン(1905~1970)、ゲルハルト・リヒター(1932~)は、色と形への関心について同じ様に言及しています。本展に出品されている作品はいずれも淡い色彩を用い、幾何学的な形からなる単純化された構成を特徴としています。

 

 

ロスコは普遍性を連想させる作品を描くために、特定の事物に対する言及を放棄しました。1940年代後半には、縦長の画面の中にぼんやりと浮かび、振動するような長方形を配置する様式を確立しました。

 

《黒の上の薄い赤》1957年

 

 

1940年代半ばから、ニューマンはユダヤ教の天地創造の神話に関心を抱くようになりました。画面の縦方向に走る線は、神と人類を一筋の光として表現する、ある種の伝統に関連しているのかもしれません。

 

 

作品名の《アダム(1951~52)》は、旧約聖書で最初の人間に与えられた名であり、ヘブライ語で「大地」を意味する「アダマ」に由来しますが、「赤」を意味する「アドム」や「血」を意味する「ダム」にも由来しています。

 

 

リヒターは一連の体系的な方法によって絵画を制作しています。カンヴァス全体に絵具を塗り、削り取り、そして引っかくことで、最初に描いた画面を破壊し、新しいイメージを作り上げるのです。

 

《アブストラクト・ペインティング(726)》1990年

 

 

ロスコ、ニューマン、そしてリヒターが示すぼんやりとした形(カラーフィールド・ペインティング)は、私たちの日常を抽象的に再構成することを目指すもので、解釈は私たちに委ねられています。

 

 

自由に解釈しろと言われても難しいですね。カラーフィールド・ペインティングを見ていると、国立国際美術館で見たGUTAIの展覧会を思い出しました。

 

 

つづく