テート美術館展 光② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

大阪中之島美術館で見た「テート美術館展 光」の続きです。以下の文章は展示室のパネルから引用しました。

 

 

  19世紀イギリス社会の劇的な変化ー地方経済の産業化と都市への人口大量流出
反発したラファエル前派、15世紀のイタリア美術へと回帰する

 

ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828~1882)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827~1910)が設立した、イギリスの画家たちが緩やかに結束する集団「ラファエル前派」は、生活に密着した作品を制作し、光の効果を捉えることに細心の注意を払いました。

 

 

ミレイが《露に濡れたハリエニシダ(1889~90)》で取り組んだ森の朝露と朝日という主題は、「木霊の力強い声」に触発されたものだといいます。

 

 

一方、ハントは1870年代に聖地・エルサレムを訪れ《無垢なる幼児たちの勝利》を描き始めました。この作品には、ヘロデ王がベツレヘムに生まれたすべての長男、いわゆる「無垢なる幼児たち」を皆殺しにする中、マリア、ヨセフ、幼子イエスがエジプトに逃れる様子が描かれています。ハントは、この泡、すなわち「空気のような球体」で「永遠の生命の流れ」を表現しようとしました。

 

 

ハンターの妻で画家仲間のメアリー・ヤング=ハンターは、彼がロマンティックな象徴主義に傾倒するきっかけとなった《私の妻の庭》のモデルを務めました。

 

 

エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833~1898)は、絵画のみならずデザインの分野でも活躍した芸術家です。《愛と巡礼者(1896~97)》は、キリスト教における天使や古典的な愛の神であるキューピッドの姿をした愛の化身が、巡礼者を孤独と闇から救い出す場面が描かれています。

 

 

  自然界へ強い関心を抱いた19世紀後半のヨーロッパの画家たち
技術や社会の急激な変化に反応する

 

ジョン・ブレット(1831~1902)は、光の効果や、感情に訴える特質を捉えています。海に差し込む陽光を丹念に描写した作品は、19世紀初頭にラファエル前派が推し進めた思想に基づいています。

 

《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》1871年

 

 

印象派として知られるフランス人画家たちの間では、光そのものが作品の主題となりました。クロード・モネ(1840~1926)、カミーユ・ピサロ(1830~1903)、アルフレッド・シスレー(1839~1899)らは、屋外での制作のために郊外へと足を延ばしました。

 

クロード・モネ

《エプト川のポプラ並木》1891年

 

カミーユ・ピサロ

《水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、朝、霞がかった曇天》1903年

 

アルフレッド・シスレー

《春の小さな草地》1880年

 

 

彼らは自然の中で光や大気、動きのつかの間の様子をとらえ、仕上げまで屋外で行いました。ほとんどの風景画家は屋外でスケッチだけを行い、アトリエに戻ってから仕上げていた時代であったため、こうした印象派の制作手法は大変にめずらしいものでした。印象派は幻想的な伝統から脱却し、キャンバス表面の絵具を強調し、遠近法を平坦なものとし、奇抜な方法で構図を切り取りました。

 

クロード・モネ

《ポール=ヴィレのセーヌ川》1894年

 

アルフレッド・シスレー

《ビィの古い船着き場へ至る小道》1880年

 

 

印象派の元のグループが活動したのは1860年から1900年の間でしたが、その革新的なアプローチは20世紀のヨーロッパと北米の画家たちも魅了しました。

 

 

フィリップ・ウィルソン・スティーア(1860~1942)とアルマン・ギヨマン(1841~1927)らは印象派の画家たちと関わり、その理念を発展させました。二人の画家は、自然の中での光の効果を捉え、表現しようとしたのです。

 

フィリップ・ウィルソン・スティーア

《浜辺の人々、ウォルバーズウィック》1888~89年頃

 

フィリップ・ウィルソン・スティーア

《ヨットの行列》1892~93年

 

アルマン・ギヨマン

《モレ=シュル=ロワン》1902年

 

 

  室内環境における、日常にありふれた光の表現
私たちは世界をどのように知覚するのか

 

ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864~1916)は、日常生活の詳細を記録した落ち着きのある肖像画と静寂な室内画で知られています。

 

 

ウィリアム・ローゼンスタイン(1872~1945)も同様に、家庭の風景を描写することに関心を持っていました。家族や友人の肖像画では、人物と同様、周囲の空間にも注意が払われています。

 

 

ローゼンスタインが描いた人物の髪や肌に落ちる光、服を照らす光から、ハマスホイの描き出す室内の壁や床に差し込む光に至るまで、二人の画家は光を正確に描写することに細心の注意を払っていたことが分かります。

 

ウィリアム・ローゼンスタイン

《母と子》1903年

 

ヴィルヘルム・ハマスホイ

《室内、床に映る陽光》1906年

 

 

おそらくハマスホイは、この時代の文脈とヨーロッパにおける浮世絵流通の増加に関連付けて独自のスタイルを発展させたものと考えられます。特に風景の一部としてのドアや窓の表現には、似通った構図の工夫がされているようです。

 

ヴィルヘルム・ハマスホイ

《室内》1899年

 

 

ハマスホイはジャポニスムに取り組んだことで知られるホイッスラー(1834~1903)に影響を受けているため、間接的にジャポニスムの要素を取り入れたのでしょう。

 

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー

《ペールオレンジと緑の黄昏ーバルバライソ》1866年

 

 

19世紀後半、ジャポニスムがヨーロッパ全土で流行っていた事を今回初めて知りました。日本美術(浮世絵、琳派、工芸品)の価値を見直したのと同時に、明治以降、日本の画家たちがこぞってパリに留学し、持ち帰ったものは何だったのかと思ったりしました。

 

 

つづく