京セラ美術館、トライアングル。
「京都美術館」の文字は近くで見ると、一円硬貨の集まりでした。
山本雄教(1988~)「仮想の換金」の展示作で《26126円の美術館》と題したこの作品は、木製パネルに26,126枚の一円硬貨を貼り付けたそう。
ガラス壁のプライス表は、個々の所蔵作品が持つ情報から「購入時の評価額」と「購入年」を切り取ったもの。
その事をふまえると、先ほどの「京都美術館」は、改名した昭和27年(1952)時点で、26,126円の価値があったという事になります。
展示物7点のうち、最高値だったのが《27000円の芸術家》。価値があるものほど鮮やかで、サイズも大きくなっています。
被写体の人物は竹内栖鳳(1864~1942)。円山・四条派の幸野楳嶺に師事し、門下の四天王の一人に数えられ、近代京都画壇を代表する画家でした。
《12150円の芸術家》は、明治38年(1905)頃、京都室町一条の自邸の画室にて撮影された70歳頃の富岡鉄斎を参照した作品です。
富岡鉄斎(1837~1924)は、漢字や国学を学び、儒学者、宮司としても活躍した文人画家。価値は取引価格で決まるようで、解像度が竹内栖鳳の半分程度でした。
《7350円の芸術家》は、大正後期(1919年頃)、《唄へる女》を制作した頃の梶原緋佐子(1896~1988)の肖像写真をモチーフとした作品です。
梶原緋佐子は京都府立第二高等女学校で千種掃雲に学び、菊池契月門下となった日本画家です。大正期には季節仲居や繊子など女性労働者像を、昭和に入ると芸妓や令嬢などをモデルに美人画を手がけました。
《4050円の女》は、竹内栖鳳作《絵になる最初(1913)》をモチーフにした作品。一円硬貨を木製パネルに並べて麻紙で覆い、鉛筆でこするフロッタージュの技法を用いて制作したとの事。
原作はモデルの表情から背景の障子の七草模様まで精細に描写されているのに対し、この作品は硬貨を単位とし、その一枚ごとにひとつの色をもつように描かれているため、極めて不鮮明です。
最安値は《63円の芸術家》。もはや解像度が低すぎて誰か分からないこの作品は、山本雄教の自画像。自分の価値がハガキ程度とは、随分低く見積もったものです。
芸術をお金に換算する、芸術家らしからぬ俗っぽさが面白いなと思いました。