ムーカ展 バンクシーからカウズまで③ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

京セラ美術館で見たムーカ展の続きです。

 

 

  インベーダー

 

1969年パリに生まれる。地元の有名美術学校を卒業後、当時のコンピュータプログラムやビデオゲームの美学に着目し、モザイク状の正方形を使って8ビットのグラフィックを表現する。「スペース・インベーダー」の愛称で親しまれ、1990年代からフランス国内の30以上の都市でモザイク・アートを制作した。

 

 

Rubikルービック Arrestedアレステッド Sidシド Viciousヴィシャス―ルービックに捕まったシド・ヴィシャス》2007年

ルービック・キューブの使用は、インベーダーの特徴的なストリート・アートのスタイルである。モザイク・タイルを使ったピクセル化されたデザインと、彼のポップ・カルチャーへの継続的な関心に呼応している。

 

 

Rubikルービック Albinosアルバイノス―アルビノのルービック》2009年

 

 

《Space One(Silver)―スペース・ワン(シルバー)》2013年

インベーダーは、2015年のインタビューで「アート史を前に進めるためには、新たな領土を侵略し、征服する場所を見つけなければならない。おそらく次に侵略するのは月になるだろう。何が起こるのかなんて誰にも分からない」と述べている。

 

 

《Space One (Gold)―スペース・ワン(ゴールド)》2013年

実際、2016年には「スペース・インベーダー」のキャラクターが描かれた作品を宇宙空間へと打ち上げ、2019年にはイタリアの宇宙飛行士であるサマンサ・クリストフォレッティ氏がインベーダーの作品の一つを国際宇宙ステーションに持ち込んでいる。

 

 

  オス・ジェメオス

 

グスタポ・パンドルフォとオターヴィオ・パンドルフォによる双子の兄弟アーティスト・ユニット。1974年ブラジル・サンパウロに生まれ。1980年代のニューヨークのヒップホップやグラフィティ・カルチャーに触発され、夢からインスピレーションを得たような大規模な壁画を描き始めた。それらの作品はブラジルの地下鉄をはじめ、世界的な建造物に張り巡らされている。

 

 

Rhinaリーナ》2010年

鮮やかな色彩と精巧なパターン、大きめの顔に細い手足で黄色い肌のキャラクターを描いた絵で知られているオス・ジェメオス。彼らが描く黄色い肌の色は、特定の人種や文化に関した引用ではなく、普遍的な人物を示しており、世界の非常に多様な人々を映し出している。

 

 

UntitledアンタイトルドGuitarギター―無題のギター》2013年

初期は壁画作品が中心であったが、最近では、伝統的で民族的なブラジル文化とグラフィックやヒップホップなど現代的な文化を組み合わせ、壁画や彫刻、ビデオやインスタレーションなど幅広い作品を生み出している。

 

 

  JR

 

1983年パリ生まれ。ストリートアーティスト兼写真家。キャリアの始まりは、写真を印刷し、それらをパリの街角にウィートぺースティングする活動だった。社会的関心を集める写真プロジェクトで国際的な評価を獲得している。

 

 

《28 Millimetresミリメートル,Portraitポートレ d'uneドゥン generationジェネラシオン Braquageブラキャージュ,Ladjラージ Ly vuヴュ par JR, Les Bosquetsボスケ Montfermeilモンフェルメイユ 2004ー28ミリメートル、ある世代の肖像、強盗、JRから見たラジ・リ、レボスケ モンフェルメイユ 2004》2004年

 

 

The Wrinklesリンクルズ ofオブ the Cityシティ,Mrミスター.Ma,Shanghaiシャンハイ,Chinaチャイナ,2010―都市の皺「ミスター・マ」上海 中国 2010》2010年

本作の被写体である「ミスター・マ」は、2010年に上海で行われたJRのプロジェクト「リンクル・オブ・ザ・シティ(都市の皺)」で撮影された。この目的は、地元の高齢者の物語とポートレイトを記録することだった。JRは、高齢者が若者たちに伝えるべきものを忘れないようにすることが大切だと教えてくれている。

 

 

  リチャード・ハンブルトン

 

1952年カナダ・バンクーバー生まれ。1979年ニューヨークに拠点を移し、コンセプチュアル・アーティストとして活動。晩年はドラッグ中毒に陥り、65歳でこの世を去った。ストリート・アートの先駆者とされ、バンクシー、ブレック・ル・ラット、JRといった著名なアーティストに今もなおインスピレーションを与え続けている。

 

 

《突撃》1985年

ハンブルトンの最も有名な作品は、1980年代にニューヨークの庭や路地に、人々を驚かすために描いた黒い絵の具のダイナミックな人影である。この作品は、やがて謎の男「シャドウマン」の仕業と呼ばれるようになった。

 

 

《Golden Shadow Torso―ゴールデン・シャドウ・トルソ》1999年

 

 

《Purple Shadow Heads―パープル・シャドウ・ヘッズ》2011年

 

 

《Five Shadows―ファイブ・シャドウズ》2005年

本作は、タギング(個人や集団の目的とされるものを描いて回る行為)の考えを拝借する形で、ハンブルトンが5人の男の影を繰り返し描いたことがメディアの注目を集めた。

 

 

《Shadowman―シャドウマン》2014年

影に潜むシルエットを荒んだタッチで描き、どちらかというと、公共の街並みという制約の中で活動するというコンセプチュアルなアプローチに近い。こうした作品は、ハンブルトン自身のイメージと密接に結びついており、最終的には彼が「シャドウマン」と呼ばれることとなった。

 

 

  カウズ

 

1974年、アメリカ・ニュージャージー州に生まれる。本名はブライアン・ドネリー。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで学士号を取得。その後カウズと名乗る。1990年代後半に独自の漫画キャラクターを広告看板に落書きしたことで、その名が知られるようになった。現在はブルックリンに住み、ポップカルチャーにインスパイアされながら制作を続けている。

 

 

Adアド Disruptionディスラプション(Calvin Klein)―広告への悪戯(カルバン・クライン)》1997年

大手ファッションブランドであるカルバン・クラインの広告キャンペーンに介入し、そのメッセージを独自の視点から再構築した。ポップカルチャーのアイコンや広告のイメージを取り入れながら、カウズ自身の特徴的なスタイルと芸術的手法を駆使し、広告の意図や社会的メッセージに対して切り込んでいる。

 

 

Adアド Disruptionディスラプション(DKNY)―広告への悪戯(DKNY)》1998年

 

 

Adアド Disruptionディスラプション(Nine West)―広告への悪戯(ナイン・ウェスト)》1998年

 

 

《4th Companion(Dissed Brown)―4フィートのコンパニオン(解剖されたブラウン版)》2009年

カウズは自身の活動を進化させるにつれ、コレクター向けの「フィギュア」を制作するようになる。彼の愛すべきキャラクターを立体化したこれらの作品は、その後、ファインアート彫刻である本作の基礎となった。この大型作品は、最も有名なキャラクターである「コンパニオン」のバリエーションのひとつである。

 

 

 

Runningランニング Chumチャム―走る友だち》2000年

本作には、カウズの作品に頻繁に登場する「チャム」という名前の大きな耳とクロスボーンの顔が特徴的なキャラクターが描かれている。走っているようなポーズの「チャム」は、彫刻作品として大きなサイズでも制作され、屋外や公共の場所、またはアートギャラリーや美術館でも観ることができる。

 

 

《M4》2000年

 

 

《M7》2000年

 

 

Jalouseジャルーズ―嫉妬》2007年

 

 

《KAWS BRONZE EDITIONS #1-12―カウズ・ブロンズ・エディション #1-12》2023年

この12体のブロンズ・エディションは、2010年以降に大規模なパブリック・インスタレーションとして各地に出没したカウズのキャラクター作品を記念し制作された。これらのブロンズ像は、ソウル、香港、富士山さらには宇宙など、世界中の様々な場所に出没した巨大なパブリック・インスタレーションを小型化したものである。

 

 

 

バンクシー以外は全員初めて。何から何まで新鮮なムーカ展でした。

 

 

おわり