京都国立近代美術館「令和5年度 第2回コレクション展」より「C.フラジャイル:修復、治癒、再生」を振り返ります。前回の「関東大震災」から連想した展示でしょうか?以下の文章は展示パネルから一部引用しました。
「FRAGILE(フラジャイル)」——壊れやすい品物を送るときに使用するステッカーなどに見られる、「壊れやすい」という意味の言葉です。美術作品にも取り扱いに注意を要する、物理的に壊れやすい・脆弱な作品があり、あるいは、ある種の脆弱さをテーマとした作品もあります。
キューバ出身のフェリックス・ゴンザレス=トレス(1957~1996)は日用品や言語を素材に、ある決まった形をもたない流動的で可変的な作品を提示することで、一般的に美術作品の価値を保証する、作品の唯一性に対する疑問を投げかけてきました。
《“無題”(夢)》は、スナップショット写真を印画紙でなくジグソーパズルにプリントした作品です。「他愛のない夢は消えて」と記された本作では、眠っている間だけ見られる夢の儚さと、バラバラの小さな断片へと還元される写真イメージの儚さが重ね合わせられています。
物が壊れるという現実を肯定し、そこから新たな作品を制作するのが竹村京(1975~)です。耐久性のある釜糸を用いた「修復シリーズ」では、食器やおもちゃなど壊れた日用品を白のオーガンジーで包み、器の傷跡をなぞるようにさりげなく刺繍を施しています。
《修復されたプラム柄の皿》2021年
《修復された3客のスウェーデン製のサラダボウル"Koka"》2021年
《修復されたK.K.のスウェーデン製の皿"Origo"》2021年
《修復されたT家の和皿》2021年
《修復された地球儀の貯金箱》2021年
《修復された白い皿》2020年
《修復されたK.K.の刷毛》2018年
《修復された赤いBMW》2016年
《修復された砂時計》2015年
《修復されたK.T. の中国製湯呑1、2》2015年
《修復されたスウェーデン製の市松模様の皿》2015年
《修復されたK.K.の青い刷毛》2015年
《修復された自転車のサドル》2014年
《修復されたドイツ製クリスタルワイングラス》2013年
《修復されたアヒルと少女》2012年
《修復されたY.T.の花柄グラス》 2008年
《修復されたポーランド製ティーポット》2003 年
《修復されたK.T.のドイツ製コーヒーカップ》2003年
一歩間違えるとタダのガラクタ。それを「時間を縫い止めて保存する」という発想が面白いなと思いました。
人間もまた「修復」を必要とする場合があります。「治癒」という言葉が当てはまるでしょうか。ピピロッティ・リスト(1962~)作《ヒーリング:癒し(2004)》は、開けるとおどろおどしい恐怖の救急箱。
側面に取り付けられたモニターに手術中の臓器と赤血球のCG画像を重ねた映像が映し出され、治療を受ける人間の身体が示されます。
他、「治癒」をキーワードにした作品に、アリシア・フラミス(1967~)の《リミックス・ビルディング:病院付きの映画館、ロサンゼルス(1999)》がありました。
映画館付きの病院だと通院も楽しくなりそう。しかし、病院付きの映画館。映画をぶっ通しで何本も見て、体調不良になるという事でしょうか?
一方、失われゆく技術を後世に伝えるために新たな作品を制作する作家もいます。福本潮子(1945~)は玄界灘の対馬に伝わる「対馬麻」の古い着物を、力強い藍染めのタピスリーとして再生させています。
《対馬ー九》2012年
《対馬―十》2012年
フィオナ・タン(1966~)の作品《揺りかご(1998)》は、時間限定の上映でした。始めから終わりまで揺りかごが揺れるだけ。同席していた人が「ええっ!それだけ?」と声を上げ、学芸員さんが「ごめんなさい」と謝っていました。
展示パネルでは、民族誌学的なアーカイヴ・フィルムを映写=再生させた作品で、か弱き存在である幼子を布に包む様子からは、まさしく壊れやすいものに対する人間の営みの原点を思い起こさせると解説。やはり作者の意図が分からないと価値も分からないなと思いました。
これで京都国立近代美術館「令和5年度第2回コレクション展」の記事は終わりです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。