花のお江戸ライフ① | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

8月11日(金)神戸ファッション美術館。特別展「花のお江戸ライフ」を見ました。

 

 

19世紀の江戸っ子が夢中になった様々なブームや日常の暮らしに寄り添った娯楽の数々をキーワードにして、後期浮世絵画壇の作品約150点などを展示する展覧会。

 

 

歴史的資料として見られがちな浮世絵ですが、その浮世絵をここまで楽しく見せてくれた展覧会は初めてでした。

 

 

  Ⅰ 旅行~富士とお城は定番です

 

今回は作品を見て感じたことを書いてみました。以下、第1章で見た作品です。

 

 

初代歌川豊国(1769~1825)

《富士額花の行列》 文化(1804~18)中期

重い荷物を持っての旅行。富士山が近すぎるような気もしますが、実際はどうでしょう?

 

 

葛飾北斎(1760~1849)

《品川》 享和期(1801~04)

海が間近に見えるお茶屋さん。出発する男性と彼らを見送る女性たちが描かれています。

 

 

葛飾北斎(1760~1849)

『冨嶽三十六景』より《尾州不二見原》 天保2年(1831)頃

画面中央には大樽造りに一心不乱な桶職人が描かれています。よく見ると、遥か遠方に富士山。桶の大きな丸い輪の中に入っていて、計算し尽くされた構図です。

 

 

葛飾北斎(1760~1849)

『春興五十三駄之内』より《宮》 文化元年(1804)

海の上に城壁、その向こうにお城。敵の侵入を防ぐためでしょう。現在ではあまり見かけない光景です。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

《幼童行列道中之図》 天保(1830~44)前期

海の向こうに富士山。美しい景色ですが、重い荷物を持って歩く子供たちは、それを見る余裕もなさそうです。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『道中膝栗毛』より《瀬戸川》 天保(1830~44)中期

弥次郎兵衛やじろべえが棒で喜多八を川底に沈めようとしている場面。川岸にいる通行人が必死になって止めようとしています。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『道中膝栗毛』より《参宮道白子》 天保(1830~44)中期

馬から落っこちた喜多八を、弥次郎兵衛とお付きの者が助けに行っている場面です。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『東海道五拾三次之内』より《日本橋 朝之景》 天保4年(1833)頃

朝焼けの日本橋。日の出とともに旅立ったのでしょう。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『東海道五拾三次之内』より《袋井 出茶屋ノ図》 天保4年(1833)頃

手前にお茶屋さん。後ろに広がるのは茶畑。竈でお茶を沸かす店主と、そこで休憩する旅人が描かれています。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『東海道五拾三次之内』より《吉田 豊川橋》 天保4年(1833)頃

吉田は松平伊豆守七万石の城下町。近景に描かれたのが居城である吉田城。櫓の改修工事中でかなり高い所まで足場が設けられています。足場のてっぺん辺りで右手をかざしている職人の姿。左に吉田大橋。長さ約218mで、東海道三大橋の一つでした。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『東海道五拾三次之内』より《庄野 白雨》 天保4年(1833)頃

夏の夕立。突然の豪雨に驚き、足早に坂道を上がっていく様子が目に浮かびます。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『冨士三十六景』より《駿遠大井川》 安政5年(1858)

江戸防衛の観点から架け橋されなかった大井川。長雨によって増水すればすぐに川留めとなり、平時も川越し人足の担ぐ輩台や肩車などで渡るしか手段がなかったとか。手前の女性は心許ないのか、右手は駕籠を左手は座布団をしっかりと掴んでいます。

 

 

初代歌川広重は、嘉永4年(1851)制作『東海道川尽』より《大井川の図》にも似たような光景を描きました。

 

 

初代歌川広重(1797~1858)

『東海道川尽』より《はこね谷川之図》 嘉永4年(1851)

浴衣を抱え温泉に入ろうとする女性とそれを見送る女性、湯上りに髪を束ねる女性の3人がそれぞれ描かれています。小さくて見づらいのですが、画面奥、温泉場を描いた光景にも、川辺でくつろぐ人々などが描かれています。

 

 

歌川国貞(1786~1864)三代豊国

『東海道五十三次之内』より《桑名宿》 文化(1804~18)後期

お城を周回する小舟。女性は舟を降りたところでしょうか?

 

 

渓斎けいさい英泉えいせん(1791~1848)

『美人東海道』より《藤江駅 廿三》 天保13年(1842)頃

大きなハサミで爪を切る女性。当時、爪切りという道具は無かったようです。馬に乗った男性は、女性が密かに思いを寄せている人でしょうか?

 

 

歌川貞秀(1807~78、79?)

《真柴久吉公播州姫路城郭築之図》文久2年(1862)

工事中の姫路城。てっぺんまで足場が組まれています。ここで初めておなじみの建物が登場し、展覧会にのめり込むきっかけとなりました。

 

 

今日はここまで。次に続きます。