花のお江戸ライフ② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

神戸ファッション美術館で見た「花のお江戸ライフ~浮世絵にみる江戸っ子スタイル~」の続きです。以下の文章は展示室のパネルから引用しました。

 

 

  Ⅱ 江戸っ子のメイクアップ術

 

江戸時代に入って、女歌舞伎役者や遊女などが髷を結い始めると、次第に一般女性にも浸透していきます。髪油によって変化に富む髪型が可能になり、髪型の多様化に伴い、くしかんざしこうがい手絡てがらなどの小道具類も装飾性を豊かに開花させていきました。

 

 

化粧も江戸時代に入ると、一般庶民の間でも広く行われるようになります。基本は白粉で顔やうなじを白く塗り、紅で唇や頬を赤く色づけ、美しく見えるようにします。紅は頬・爪・目元にも使われました。これに眉墨やお歯黒の黒を入れたものが、日本の伝統的な化粧の三色です。

 

 

眉墨やお歯黒は、成人・結婚・出産に伴う通過儀礼の役割も担っていました。例えば、庶民の女性であれば、お歯黒は成人あるいは既婚、剃り眉は子持ちということが一目で分かるのです。

 

 

このほか、歯磨きが庶民に広まったのも江戸時代で、女性に限らず男性も行いました。また、入浴の習慣も一般化し、内風呂を持たない人々は湯屋に通いました。湯屋はまた庶民の社交場でもありました。

 

 

以下、第2章で見た作品です。解説のない作品には、独自の感想を添えました。

 

初代喜多川歌麿(1753~1806)

『名所風景美人十二相』より《結髪》 享和期(1801~03)頃

大きな丸髷を結った女性が少女の髪を整えています。丸髷は既婚女性の髪型なので、女性は母親。歌麿は若い母親を美しく見せるため、眉を描いてお歯黒を描かなかったよう。母親に見向きもせず、一心に鏡を見つめてる娘の姿が愛らしいです。

 

 

喜多川月麿(生没年不詳)

《滝川と艶粧》 享和期(1801~04)頃

扇屋は吉原遊郭の大見世のひとつです。そこに属する滝川と艶粧たおやぎは、遊女の中でも最も位の高い花魁おいらんでした。

 

 

二代喜多川歌麿(生没年不詳)

《東風流川添柳》文化期(1804~18)

立っている女性は、おしぼりを顎にはさんで髪を整えている最中、座っている女性はおしろいを塗っているところでしょうか?二人ともお洒落に余念がありません。

 

 

鳥居清峰きよみね(1787~1868)

『風流五葉松』より《端午》文化期(1804~18)

母親におんぶされた男の子。端午の節句を祝ってもらったのでしょう。甲冑を被っています。

 

 

歌川国直くになお(1795~1854)

《夏》文化(1804~18)中期

まとわりつく子供を相手にしながら髪の毛を洗う母親。イライラした様子は全くなく、大らかな性格と見受けられます。

 

 

初代歌川豊国(1769~1825)

《鏡台前》文政(1818~30)前期

鏡台前で髪の毛を整えているところでしょうか?私ならもう一台、反対側に鏡が欲しいところです。

 

 

二代歌川豊国(1802?~1835?)・歌川国弘(生没年不詳)

『風流東姿十二支』より《申》 文政(1818~30)末期

櫛を加えながら髪の毛を結う女性。髷を作るのも大変そう。額縁の中の猿もなかなかおしゃれ。それぞれの干支の絵を見たいものです。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

『当世三十二相』より《しまひができ相》 文政(1818~30)前期

女性はおそらく遊女。もろ肌を脱いで、白粉化粧の真っ只中。合わせ鏡で確認し、襟足の白粉を指で延ばしています。見世に出るための化粧であるが、左腕に結ばれた豆絞りの手ぬぐいの下には、思い人の名の刺青が入れられているのでしょう。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

『今風化粧鏡』より《口紅》 文政(1818~30)中期

指に布を巻き、口に紅をつける女性。当時、リップブラシはまだ無かったようです。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

『今風化粧鏡』より《おはぐろ》 文政(1818~30)中期

天神髷を結った女性が、筆でお歯黒をつけています。眉をまだ剃っていないので、若い妻。当時流行りの弁慶縞の着物を着ています。なお、弁慶縞は歌舞伎十八番「勧進帳」の弁慶の衣装に由来します。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

『今風化粧鏡』より《毛ぬき》 文政(1818~30)中期

毛ぬきって眉毛を抜く道具だったんですね。てっきり指に刺さったトゲを抜くものだと思っていました。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)・梅素亭ばいそてい玄魚げんぎょ(1817~1880)

『今様三十二相』より《すずしさう》 安政6年(1859)

女性はお風呂から上がったところでしょう。手ぬぐいで汗をぬぐい、さっぱりとした顔をしています。団扇と盆栽は女性の頭の中を表しているかのよう。これらのアイテムが描かれているだけで絵そのものが涼しげです。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

《浮世絵人情天眼鏡》天保元年(1830)頃

口紅をつける様子が描かれています。3本の指に布を巻いているのも気になるところです。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

《当世やしなひ草》 天保期(1830~44)頃

子どもの髪を結う女性に、お歯黒をつける女性、自分の髪を結う女性。お洒落に余念のない二人の娘を、母親が見守っているかのようにも見えます。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

『江戸名所 百人美女』より《足を拭く女》 安政5年(1858)頃

お風呂上がりで足を拭いているのでしょうか?大きな蛸をあしらったユニークな着物。女性の性格を表しているかのようです。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)・二代歌川国久(1832~1891)

『江戸名所 百人美女』より《今川ばし》 安政5年(1858)

元禄5年(1692)刊行の教訓書『女重宝記』によると、健やかで美しい黒髪をキープするには、桐シャンプーで髪を洗い、くるみオイルを塗って、セリ科の和ハーブをパウダー状にしたドライシャンプーをふりかけてブラッシングすると良いそうです。現代の常識とは全く違いますね。

 

 

歌川国貞=三代豊国(1786~1865)

《当世三極志 三代目市川市蔵、四代目中村芝酛、初代河原崎権十郎》万延元年(1860)

歌舞伎役者たちも、女性に負けず劣らず化粧をしていました。

 

 

歌川国芳(1798~1861)

《縞揃女弁慶 自削り》弘化2年(1845)頃

当時流行りの弁慶柄の着物を着た女性。お歯黒をしていないので、未婚の若い女性と思われます。

 

 

渓斎けいさい英泉えいせん(1791~1848)

『鏡台前』より《髪結い》 文政(1818~30)前期

夜の営みの最中でしょうか?女性は男性の前で、乱れた髪を整えています。

 

 

渓斎英泉(1791~1848)

『今容姿』より《歯みがき》 天保期(1830~44)

房州砂を片手に、房楊枝で歯磨きをする女性たち。尖った方で歯の間に挟まった食べかすを搔き出し、その後房状の部分で歯の表面の汚れを落とす歯ブラシとして使っていました。

 

 

落合芳幾よしいく1833~1904)

『時世粧年中行事之内』より《競細腰雪柳風呂》 明治元年(1868)

なんだか騒がしい湯屋。混浴だったようで、女性たちの中に、幼子や年老いた男性が混じっています。それにしても、女性たちの顔が皆、面長でツリ目なのはなぜでしょう?

 

 

今日はここまで。次に続きます。