今回は、京都国立近代美術館で見た「甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性」を振り返ります。
展示室入った所にフォトスポットがありました。甲斐荘楠音(1894~1978)の名前は知っているけど、お顔を見るのは初めて。女形で、彼が描く怪しげな女性たちはどことなく彼の風貌に似ているように思えました。
序章 描く人
『大正から昭和にかけて京都で活躍した日本画家、甲斐荘楠音。国画創作協会で彼が発表した作品は、美醜を併せ吞んだ人間の生を描いて注目を集めました。』主要作品を制作年順に並べると、次第に怪しさを増し、1920年前後をピークに落ち着いてきたのではと思います。
《毛抜》1915年頃
《横櫛》1916年頃
《秋心》1917年
《女人像》1920年頃
《幻覚(踊る女)》1920年頃
《春宵(花びら)》1921年頃
《娘子》1927年
第1章 こだわる人
『甲斐荘は、似たポーズの人物像を繰り返し描いた画家でしたが、スケッチ類を調べてみると、類似イメージ間の変化や、その動作に対する執拗な探求心に圧倒されます。裸を「肌香」と言い表した彼は、形だけではなく香りや動きをも捉えようとしていました。』確かに。絵の中の女性は所作が美しく品があります。
《スケッチ(舞妓)》
《春》1929年
《藤椅子に凭れる女》1931年
第2章 演じる人
『幼少から歌舞伎の観劇を好んだ甲斐荘は、以後も芝居には特別な関心を抱き、自ら女形として舞台に立つこともありました。そうした愛着や執念は、絵画制作にも反映されています。彼が描いた「美人」は、美人を演じる彼自身だったと言っても過言ではありません。』撮影スポットで感じた事が確信に変わった瞬間でした。
《スケッチブック》
《スケッチ(歌舞伎役者)》
《太夫に扮する楠音》
《畜生塚の前でポーズする楠音》1915年頃
第3章 越境する人
『芝居を愛し、人間の形の美を超えた生命の美を捉えたいと考えた甲斐荘は、映画の世界へ身を投じました。古今の服飾に関する見識を買われ、時代劇の風俗考証を手がけるようになりました。好みの美男美女たちが演じてみせる情念のドラマを、画家ならではの彼のセンスが華やかに彩ったのです。』時代劇には興味がないので、このセクションはさっと流しました。
『旗本退屈男 謎の南蛮太鼓』衣装 1959年
『旗本退屈男 謎の大文字』衣装 1959年
『旗本退屈男 謎の幽霊島』衣装 1960年
『旗本退屈男 謎の暗殺隊』衣装 1960年
終章 数奇な人
『大正期の日本画家として活躍したのち昭和期には映画界で活躍した甲斐荘。しかし映画界で活躍する基盤は幼少から育まれてきました。そして映画人として活躍する間も、絵画への思いは続いていました。彼の未完の大作がそのことを物語ります。』例えば《虹のかけ橋(七妍)》。20歳前後に描き始めて、80歳前後に描き直したそうです。
《畜生塚》1915年頃
《虹のかけ橋(七妍)》1915~76年
映画界で活躍したにもかかわらず、晩年まで画力が衰えなかったのもすごい事ですね。甲斐荘楠音の偉大さを知った展覧会でした。