ミイラ「永遠の命」を求めて③ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

先日の続き。最終回。本文は特別展「ミイラ」の公式サイトを参考にしました。

 

 

第3章 ヨーロッパのミイラ

 

ヨーロッパ各地でも多数のミイラが発見されていますが、その多くは自然ミイラに分類されます。ヨーロッパのさまざまな自然環境を反映してか、ミイラとなった原因も多様です。

 

 

その中でも北ヨーロッパに点在する湿地では、驚くべき保存状態を示すミイラが発見されています。これらは湿地遺体(ボッグマン)と呼ばれています。

 

 

例えばウェーリンゲメン。1904年にオランダで発見された2体の湿地遺体で、紀元前40年から紀元後50年前と推定されています。

 

 

これらの湿地遺体には殺傷痕や絞殺痕が見られることが多く、遺体の上に交差した木の枝や石が置かれる場合もあります。そのため、湿地遺体は「生贄として捧げられた」、または「犯罪者として処刑された」と考えられています。

 

 

また、ヨーロッパのミイラで興味深いのがカナリア諸島のミイラです。カナリア諸島の先住民であるグアンチェ族の有力者が亡くなると、遺体表面に泥や樹脂などが塗られ、遺体は石板の上に置かれて、昼は日光にさらされ、夜は煙でいぶして乾燥させられました。

 

 

古くは約1600年前から行なわれ、スペインの統治が始まった約500年前にも作られていました。彼らのミイラは祖先崇拝の一種として作られたと考えられており、カナリア諸島で独自に発達したミイラ文化と考えられています。

 

 

 

第4章 オセアニアと東アジアのミイラ

 

オセアニアは太平洋に位置する大陸・島々の総称で、その大部分が熱帯に属します。また、東アジアも一部の乾燥帯を除き、高温多湿です。したがって、これらの地域はミイラの保存にとって適した環境であるとは言えません。

 

 

オセアニアには複数のミイラ文化が存在していましたが、20世紀になるとミイラづくりが行なわれなくなり、また現存するミイラも少ないため、その実状はよく分かっていません。

 

 

その数少ないミイラから、よく知られているものをピックアップしました。

 

一つ目は、イアトムル族の神話「成長した人は親であるワニを殺してしまった。人は親殺しの罪に泣きぬれ、その鼻は垂れ下がって、涙はセピック川になった」から生まれた祖霊像。

 

 

二つ目は、亡くなった本人の頭骨を基にして、粘土や樹脂などで肉付けを行い、生前の顔つきを再現した肖像頭蓋骨。顔の模様は生前の入れ墨や祭りの際にしていたペインティングが再現されていて、全く同じ模様のものは存在しません。

 

 

中国でも自然ミイラは多数発見されていますが、「生前の姿を残す」ことを目的とした文化はほとんど存在しなかったそう。

 

 

日本の気候は高温多湿であり、土壌も酸性が強いため、人骨まで溶けてしまう場合が多いとか。それにも関わらず、これまでに江戸時代の遺跡からは、自然ミイラが数体発見されました。

 

 

また、日本には仏教思想に基づき即身成仏を切望した行者ぎょうじゃまたは僧侶のミイラのことを「即身仏そくしんぶつ」として崇拝の対象とする考えがあり、現在でも大切に保存されています。

 

 

とりわけインパクトが強かったのは、国立科学博物館が所蔵する《本草学者のミイラ》。長年の研究の末、遺体を保存する方法を編み出した彼は、「後世に機会があれば掘り出してみよ」 という伝承を残して亡くなったとか。

 

 

この展覧会の良かった所は、日本のミイラに触れていたこと。オススメと言いたいところですが、9月26日(日)で終わっています。

 

 

おわり