ミイラ「永遠の命」を求めて② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

先日の続き。本文は、公式サイト「ミイラ」を参考にしました。

 

 

第2章 古代エジプトのミイラ

 

ミイラ文化といえば古代エジプトが有名です。ただ、ミイラづくりの手法は最初から確立されていたわけではなく、長い年月をかけて進化してきました。

 

 

まず始めに、古代エジプト王国について。

 

紀元前3150年頃に始まり、初期王朝時代→古王国時代→中王国時代→新王国時代→末期王朝→プトレマイオス王朝と続き、紀元前30年、クレオパトラの死によって断絶。その後、古代ローマ帝国の支配下に入りました。

 

 

古代エジプトのミイラ史は、先王朝時代(紀元前3150年より前)から始まります。

 

古代エジプトが統一される以前の先王朝時代には、砂漠に遺体を屈曲させた状態で、布で包んで埋葬する風習がありました。砂漠に埋葬された死体は急速に乾燥するため、条件がよければミイラになりました。

 

 

ピラミッドや太陽神殿が建設された古王国時代(前2686~前2181年頃)に、内臓を摘出するという画期的なミイラづくりの技術が開発され、樹脂を浸したリネン布で遺体の全身を覆い、頭部に生前の顔を模したマスク(ミイラマスク)を被せるようになりました。

 

 

こちらは中王国時代(前2181~前1570年頃)のミイラマスクです。

 

 

新王国時代(前1570~前1069年頃)になると、保存状態がかなり良いミイラが多く発見されており、この時期にミイラづくりの技術が確立されたと考えられています。

 

 

その後、ローマの支配下に入ったグレコ・ローマン時代(前140~後300年頃)、ミイラづくりの技術は大きく変化し、ミイラの仕上がりよりも表面の装飾の方に力が注がれるようになりました。

 

 

ヒエログリフという文字のおかげで、古代エジプトの歴史や思想が解明されています。ミイラづくりや彼らの死生観に関しては『死者の書』が有名です。

 

 

それによると、古代エジプト人にとってミイラになることは、来世で幸福に生きるために必要不可欠なものと考えられていました。

 

 

古代エジプト人はさまざまな動物のミイラも作っていました。犬、猫、羊、魚などの動物ミイラは、家族として一緒に埋葬されたり、神々への捧げものであったり、人間のミイラの食べ物とされたり、さまざまな意図で作られていました。

 

 

4000年近くも続いたエジプトのミイラづくり。諸説ありますが、王から庶民まで、1億5000万人にものぼる古代エジプト人がミイラとなったとか。

 

 

こちらがミイラづくりの手順。完成までに70日と、思いのほか時間がかかります。

 

 

なお、心臓には意思が宿り、死者の審判で使われるため、取り出さないというルールがありました。

 

 

こちらはロンドン博物館が展示しているミイラづくりの手順。良俗的で血を見るシーンは省かれています。

 

 

遺体から取り出した内臓(肝臓、胃、腸、肺)は、それぞれ別々の壺(カノポス壺)に入れて保管。

 

 

また、腐敗を防ぐためにナトロン、匂いをつけるためにサフランなど。ミイラ作りにはさまざまな香料が使われます。

 

 

かの有名なツタンカーメン王の像。

 

 

ミイラに黄金マスクを被せていたとは!今回初めて知り、衝撃的でしたガーン

 

 

今日はここまで。次に続きます。