原田治展「かわいい」の発見④ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

今回はOSAMU GOODSの話です。

 

 

グッズの仕事―OSAMU GOODS

 

1975年、化粧品メーカーのコージー本舗に勤めていた石井志津男は、「an・an」に掲載されていた原田治のイラストに惹かれ、グッズを制作することを思いつきます。

 

 

最初は販促用景品の制作でしたが、そこから発展し、翌76年、ついにオリジナルグッズの製造販売をスタートします。商標登録の都合から、ブランド名は「OSAMU GOODS」に決まりました。

 

 

それまでのキャラクターグッズは、既存の製品にイラストをプリントしただけの商品がほとんどでしたが、OSAMU GOODSは、作家自らプロダクトをトータルでデザインしました。

 

 

それゆえに、キャラクターグッズの枠に納まらない、高いクオリティの商品が実現したのです。

 

 

 

グッズの仕事―OSAMU GOODS以降

 

原田治のイラストが使用されたグッズは、OSAMU GOODSとそれ以外に分けられます。前者はプロダクトのデザインから行っているブランドで、その総体が原田治の作品ともいえるものです。

 

 

対して後者は、素材となるイラストのみ提供し、そのレイアウトやプロダクトのデザインにはタッチしていないものです。

 

 

例えば「MOONY」

 

 

西武百貨店のプライベートブランドで、1970年代後半に文房具や子供用品などが展開されました。

 

 

上野動物園も東京オリンピックの年(1964)に販促グッズを生産しています。

 

 

また、「Tapioca(1980年頃)」や、

 

 

「Plain Soda(1988)」といったシリーズからは、多数のアイテムがリリースされました。

 

 

そして1990年代以降は、OSAMU  GOODSも自社製造せず、様々なメーカーにイラストを提供して製作する、ライセンスグッズとなったのです。

 

 

若い女性は「かわいいピンクハート」の連発でした。よく考えると彼女たちの親は第1世代。この調子だと、OSAMU GOODSは100年続くブランドになりそうです。


 

つづく