京都国立博物館で見た「オリュンピア×ニッポン・ビジュツ」は、多神教を奉じた古代ギリシア世界と、日本の信仰風習とを対比させながら、博物館収蔵の名品を見るという企画展。
10章まであって前半はイマイチよく分からず、後半から面白くなってきたというのが正直な感想。いきなり神の話が出てきてなんだと思ったのは、古代オリンピックに関する知識不足が原因でした
(公財)日本オリンピック委員会のサイトでは、古代オリンピックを次のように定義しています。
近代オリンピックが始まったのが1896年。その前身となるのが古代オリンピックです。古代オリンピックが始まったのは、考古学的研究によって紀元前9世紀頃とされています。
現代のオリンピックは世界平和を目的としたスポーツの祭典ですが、古代オリンピックはギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事でした。全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における体育や芸術の競技祭だったのです。
それでは、この事を踏まえてストーリーを順に追っていきましょう
1.日本の神々
日本の神様が人の姿で表されるようになったのは、6世紀のこと。仏教とともに仏像が伝わった影響と考えられています。また、日本の神様の中にも、勝利の神様、戦の神様、弓矢の神様などがいました。
そしてここで見た展示作品。
「女神坐像(12世紀)」 滋賀・日牟禮八幡宮所蔵
2.古神宝
擬人化された日本の神様には住まいとして神社が建てられ、家財道具として神宝が調えられました。どちらも古くなると新調され、古い神宝は処分されましたが、上等なものは神社の宝物として大切に保管されました。これを「古神宝」といいます。
中でもひときわ手の込んだ古神宝は、南北朝時代(14世紀の終わり頃)に、熊野の神々のために、時の天皇や上皇、実力者であった将軍足利義満などが奉納したものです。
そしてここで見た展示作品。
国宝「阿須賀神社伝来古神宝類のうち松椿蒔絵手箱(蓋表・部分)(1390年頃)」 京博所蔵
3.神様のお使い
ギリシア神話が詩人たちによって詠い継がれ、また、時に創作も加えられる中で、ギリシアの神々は様々に変身しました。神様は必ず人の姿をしていたわけではなく、いつも同じ姿であったわけでもありません。また動物たちが神格化されたり、神様の使いとなったりすることがよくありました。
そしてここで見た展示作品。
「八尾狐図 狩野探幽筆(1637)」
4.門前のにぎわい
祭典が開かれると、戦争中の都市国家も停戦し、各地から押し寄せる参詣者を目当てに商人が集い、詩人や音楽家は祭典のスポンサーだった貴族たちの目をひいて職を得ようと躍起になり、美術館には立派な奉納品が並びました。
日本の寺社の門前には、一休みするためのお茶屋さんばかりでなく、本格的な芸能集団や遊女たちが集いました。また一方で、裕福な家族連れがお伴を従えて観劇や花見を楽しむ、のどかな姿がありました。
そしてここで見た展示作品。
重文「鉄釣燈篭(1319)」 京博所蔵
5.奉納競技
日本の神々に捧げられた競技をいくつか見てみましょう。馬の競走である「競べ馬」、馬の背に乗った騎士が矢を放って的を射る「流鏑馬」、レスリングの一種である「相撲」、球が地面に落ちないように蹴り続ける「蹴鞠」、鷹に獲物をとらせる「鷹狩り」、テーマに即した詩の腕前を競う「歌合せ」、音楽や舞など。
神様が退屈しないように、また、神々のために用意できる最良のものを届けられるように、神前で執り行う行事には気を引き締めて臨んだのは、ギリシアでも日本でも同じでした。
そしてここで見た展示作品。
「御所人形 相撲(19世紀)」 京博所蔵
6.鍛錬
オリンピックに出場できるのは、心身の健康に恵まれた上に努力を惜しまない選手たちです。東洋にも修業を重ねると人智を超えた存在になれるという考えがありました。仙人です。また、彼ら仙人や神仏に少しでも近づこうと、日本の山々では修験者たちが厳しい修行に励みました。
一方、古代ギリシアの選手たちは、医学や薬学、栄養学や夢占いにも頼り、優勝のために生活のすべてをかけました。大会の1ヶ月前にはオリュンピアの合宿所に入り、自らの限界まで肉体を鍛え上げました。この強化合宿は、脱落者が続出する予選のようなもので、当番医師や夢占い師が常駐したといいます。
そしてここで見た展示作品。
「金剛力士立像(13世紀)」 京博所蔵
7.オリンピックの初日から
古代オリンピックの初日は、オリンポスの天空神・ゼウスへの宣誓から始まります。午後には少年たちの競技が行われ、2~4日目は、さまざまな競技が行われました。
中でも満月となる3日目には、最も重要な宗教儀式として、神官に導かれた選手、コーチ、審判たちがゼウス神殿まで行進し、牡牛百頭の生贄を捧げます。生贄となった牡牛の肉は、この晩観客全員で食し、祭典を祝いました。
古代ギリシアのオリンピックは、やはり「オリンポス信仰」の祭典だけあって、ゼウス神に捧げるという点が特徴的で、日本のお祭りに通じるところがあります。
そしてここで見た展示作品。
「祇園祭礼図屏風・右隻(17世紀)」 京博所蔵
8.武装競走・近代競技
オリュンピア祭典競技の4日目には、中長距離の徒競走やパンクラチオンと呼ばれる格闘技、また、重い甲冑を身につけた武装競走が行われました。パンクラチオンは、かみつくことと指で相手の目をつくこと以外は何をしてもよいとされる危険な競技で、命を落とす選手もいました。
オリュンピア祭典競技のうち、徒競走や格闘技には全裸で臨んだのに対し、武装競走では、戦に臨む際の鎧兜、槍、楯、脛当てのフル装備で全力疾走しました。オリンピックは人間が用意できる最良のものを神々に捧げる場であると同時に、戦士の育成を兼ねていたのです。
そしてここで見た展示作品。
「紫糸威鎧 伝島津斉彬所用当館(19世紀)」京博所蔵
9.勝者の肖像
オリュンピア祭典競技の5日目は閉会式です。各競技の勝者にオリーブの冠が授与されました。優勝者は自身の彫像を作ってゼウス神殿に奉納することが許され、鍛え上げられた美しい肉体が、神に祝福された理想の人体として、銅像や大理石像となって人々の記憶に留められました。
ここでは、ある宗教を開いた偉人の図である祖師像、恨みを残して亡くなった人の霊を鎮めるために作られた怨霊の図、禅宗の卒業証書の代わりに授けられた恩師の図である頂相、死後に神と崇められた権力者の姿など、さまざまな肖像画を見ました。
そしてここで見た展示作品。
重文「豊臣秀吉像 玄圃霊三・惟杏永哲賛(1600)」 滋賀・西教寺所蔵
10.祝宴
オリュンピアの優勝者は、オリーブの葉冠を授かりました。長年の鍛錬に対する見返りは、こうした植物の冠と、祝福、栄誉だけでした。とはいえ、故郷の都市国家では、神に祝福された者は都市に恩恵をもたらす者として連日の大宴会でもてなされたあげく、生涯にわたって好待遇を受けたのでした。
ここでは宴のシーンを見て祝祭気分を味わったり、宴に使った器を見たりしました。
そしてここで見た展示作品。
「酒飯論絵巻(18世紀)」 京都・三時知恩寺所蔵
感想
所蔵のコレクションをこれほど面白く見せた展覧会は初めてでした。考えてみれば中世は武士の時代。戦闘的な作品って結構あるものです。東京オリンピック開幕まであと18日。感染が広がらなければいいのですが。