フランス絵画の精華 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 8月7日(金)大阪市立美術館で開催中の「フランス絵画の精華」を見に行きましたニコニコ

 

 

 きらびやかな内装は今回のテーマにぴったりキラキラ人気の展覧会と聞きましたが、昨年のフェルメール展ほどではありません。

 

 

 17世紀の「大様式」と呼ばれた古典主義から18世紀のロココ、19世紀の新古典主義ロマン主義を経て、印象派誕生前夜に至るまでの絵画の展示でした音符

 

 

 それでは、古典主義から見ていきましょう!

 

 フランス近代国家を設立したルイ14世は、1648年、王立絵画・彫刻アカデミーを設立。ニコラ・プッサン(1594-1665)の絵を理想とし、シャルル・ルブラン(1619-90)を中心に教育が施されました。

 

 

 アカデミー教育の特徴は画題の序列。古典文学や聖書を主題にした歴史画を頂点にし、生命の無い静物画を最下位に位置づけました。

 

 

 歴史画は、描く側にとって想像力を要し、鑑賞する側にとって予備知識の要る難しいジャンル。特に宗教画は馴染みが薄く、近寄りがたいイメージがありますニコ

 

 

 以下、古典主義の作品を4点、ピックアップしました。

 

 ニコラ・プッサン「コリオラヌスに哀訴する妻と母(1652-53)」

 

 

 ジャック・ブランシャール「バッカナール(1636)」

 

 

 クロード・ロラン「ペルセウスと珊瑚の起源(1673)」

 

 

 フィリップ・ド・シャンパーニュ「キリストとサマリヤの女(1648)」

 

 

 アカデミー設立当初はデッサンが重要視されていましたが、次第に色彩が優勢になっていきます。18世紀の画家たちは、青・白・赤のチョークを好んで使うようになりました。

 

 

 こちらはアントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)のデッサンで「フルートを吹く男、ふたりの座る女(1717)」。男性の顔が描かれていないのは、デッサンゆえの事でしょう。

 

 

 18世紀になると、国王の権力が弱まり、ブルジョワの地位が向上。貴族がパリのブルジョワ的な生活に親しんだ結果、感性や恋愛を重視する美術が好まれるようになりました。

 

 

 そんな中、ヴァトーは富裕層で流行していた屋外の集いを、演劇や神話の登場人物に見立てて描く「雅な宴」で一斉を風靡します。

 

 

「ヴェネチアの妻(1718-19)」は、庭園・会話・音楽という雅宴画を構成する要素が、豊かな色彩とともに描かれている作品。画面右端の楽器を演奏する男は、ヴァトー本人の自画像です。

 

 

 以下、ロココ作品を3点ピックアップしました。

 

 フランソワ・ブーシェ「羊飼いのイセに神の姿をみせるアポロン(1750)」

 

 

 ジョゼフ・ヴェルネ「海、日没(1748)」

 

 

 フランソワ・コルソン「休息(1759)」

 

 

 1737年、アカデミーはルーブル宮殿「方形の間」で一般市民向けに無料の展覧会を開催。その展覧会は好評で、1880年まで「官展(サロン・ド・パリ)」として定期的に開催されたのです。

 

 

 18世紀末になると、女性画家の活躍も目立つようになりました。本展のチラシを飾る「ポリニャック公爵夫人(1782)」は、女性画家ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)による作品です。彼女はマリー・アントワネットのお気に入りでした。

 

 

 18世紀末から19世紀初頭、フランスは激動の時代を迎えていました。フランス革命の後、ナポレオンが台頭。彼はローマ時代の皇帝に倣い、美術も古代ローマを理想とする古典主義に還ろうとしていました。

 

 

 そこでルイ・ダヴィッド(1748-1825)は、新古典主義を提唱。彼はフランス革命に参加し、「ナポレオンの戴冠式(1807)」を描いた画家でもあります。

 

 

 ダヴィッドと並んで「新古典主義の巨匠」と呼ばれたのが、ドミニク・アングル(1780-1867)です。今回は、「オルレアン公フェルディナン=フィリップ、風景の前で(1843)」を見ました。

 

 

 フランス革命後廃止された王立アカデミーは、1816年に復興。しかし、ロマン主義を主流とする当時の芸術観にあっては、もはや伝統的な規範の遵守よりも芸術家の個性が重視され、アカデミーに対する反抗機運も高まっていました。

 

 

 仏ロマン主義の代表的な画家に、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)がいます。「民衆を率いる自由の女神(1830)」が有名ですが、今回の展覧会では、「書斎のドン・キホーテ(1824)」を見ました。

 

 

 一方で、ウィリアム・ブグロー(1825-1905)やポール・ボードリー(1828-86)など、アカデミーの教育理念を忠実に守る画家いて、彼らは「19世紀アカデミー派」と呼ばれました。

 

 

 彼らの作品は、古典主義の再来を感じさせます。

 

 ウィリアム・ブグロー「青春とアモル(1877)」

 

 

 ポール・ボードリー「ウェヌスの化粧(1858)」

 

 

 1830年代になると、官展で落選した作品を集めた展覧会が小規模なプライベートサロンで開催されるようになります。特に1863年は3000点以上の作品が落選して大騒動になり、フランス政府後援のもと、大規模な落選展が催されました。

 

 

 その中で物議を醸したのが、エドゥアール・マネ(1832-83)の「草上の昼食(1862-63)」。裸の女性が下品で問題になったのです。

 

 

 マネは近代化するパリの情景や人物を、伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し、印象派の画家たちに影響を与えたことから、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられるようになりました。

 

 

 今回の展覧会では、「散歩(1880)」を見ました。マネ晩年の作品で、筆のタッチが印象派風。一方で、印象派の画家たちが決して用いなかった黒には、スペイン美術への憧れを垣間見れます。

 

 

 最後の展示室のみ撮影OKカメラ

 

 

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 美術館を出ましたあしあと