万博記念公園200721⑥ | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

万博記念公園訪問記鉛筆最終回


 

 今回万博記念公園に行ったのは、大阪日本民芸館の万博50周年記念展を見るため。

 

 

 パビリオン「日本民藝館」の展示を再現し、民芸運動50年間の軌跡を振り返る展覧会です。

 



本題に入る前に、民藝運動について。


 民藝運動とは、大正15年(1926)「日本民藝美術館設立趣意書」の発刊により始まった、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動です。

 

 

 日本民藝館の創設者であり、民芸運動の中心人物でもある柳宗悦(1889-1961)は、それまでの美術史が正当に評価してこなかった、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することに努めました。

 

 

 日本民藝館は昭和45年(1970)の大阪万博で「暮らしの美」というテーマを掲げ、パビリオン「日本民藝館」を出展。その展示館を継承したのが大阪日本民芸館です。

 



館内は撮影禁止バツレッド画像は全て借りました。



 第1展示室は、東京にある日本民芸館のコレクション約200点。民芸品の原点に帰る空間。そもそも「暮らしの美」とは何か、考える空間です。



 「日本民藝美術館設立趣意書」の表紙を飾った蕎麦猪口。1780~1810年代の伊万里焼で、シダをモチーフにしたのがユニーク。

 

 

 木喰明満(1718-1810)作、寛政13年(1801)完成の不動明王像。不動明王といえばいかつい顔を思い浮かべますが、この不動明王は仏様のよう。

 

 

 チラシの作品は蓮池を描いた翡翠文皿。1640~50年代に制作された古九谷様式の伊万里焼です。

 

 

 丹波国佐治町などで織られ、主に庶民の夜具や丹前に用いられた丹波木綿。一時期京阪にも販路をもちましたが、明治中期以降廃れたとか。

 

 

 こちらは20世紀に京都で生産された芯切鋏。仏壇で用いる和蝋燭の芯を切る道具です。

 

 

 第2展示室は、大阪日本民芸館のコレクション約90点。そのほとんどが昭和43年〜44年(1968-69)の日本民藝館展で受賞した地方の手仕事品だそう。

 

 

 東北地方の蓑もそのうちの一つ。意外に新しいものだと思いますが、よく見ると手が込んでいます。

 

 

 他、福島県奥会津の編み組細工

 

 

 沖縄「喜如嘉」の芭蕉布

 

 

 大分県の小鹿田焼

 

 

 愛知県の瀬戸本業窯など。戦前は料理旅館だった今は亡き祖母の家に、このような食器が沢山あったのを思い出しました。

 

 

 第3・第4展示室は、大阪日本民芸館のコレクション約70点。

 

 

 特筆すべき事は、日本民藝館名誉館長に就任した濱田庄司(1894-1978)の大鉢6点が50年ぶりに揃ったこと。

 

 

 大鉢の上の壁には、芹沢銈介(1895-1984)の「丸紋伊呂波屏風(1970)」を展示。

 

 

 棟方志功(1903-75)の大作「大世界の柵『乾』―神々より人類へ―(1969)」も、万博開催当時と同じ陳列で展示したとの事。

 

 

「大世界の柵」は「乾と坤(けんとこん)」の2部作で、2柵合わせて全長25mを超える大作。計72枚の版木を使った作品です。

 

 

 他、柚木沙弥郎(1922-)や小島悳次郎(1912-96)など、民藝運動に連なる作家たちの作品もありました。

 

 

 展覧会の後はショップに立ち寄り。見てるだけでも楽しくなります。

 

 

 大阪日本民芸館の隣は平和のバラ園。

 

 

 睡蓮が見頃です。

 

 

 最上段にカバのオブジェ。

 

 

 こんな時期に、バラ赤薔薇が咲いているのは意外でした。

 

 

「月の世界」はイサム・ノグチ(1940-)の彫刻作品。万博開催当時は「天の池」にあり、噴水の一部となっていたとか。

 

 

 西日が眩しい大地の池。

 

 

 水面を覗き込むと、鯉が沢山泳いでいました。

 

 

 お祭り広場はとても静か。

 

 

 万博開催当時、お祭り広場から太陽の広場にかけて、鉄骨製の大きな屋根がかかっていたとの事。

 

 

 太陽の塔は3つの顔を持ち、背面の黒い太陽は過去の象徴。

 

 

 中央口ゲートへの道を歩き、万博記念公園を出ました。