大阪城公園散策、最終回。
多聞櫓を潜り、大手口枡形に出ました。
ここは敵の侵入を食い止めるために設けられた領域で、石垣には城の威容を誇示する巨石が数多く用いられています。
江戸時代には、一年交代で城に詰めた旗本(大番衆)が日用品を調達するため、定期的に市が開かれたとか。
大手門を出ました。
こちらは大手口に向かう敵を攻撃するために設けられた隅櫓。織田信長が石山本願寺攻めの際、この櫓からの横矢に悩まされ、「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」と言った事から「千貫櫓」と呼ばれています。
対岸にNHK大阪放送局がありました。
建物の向かいに、昭和13年(1938)に設置されたというラジオ塔が遺っています。
南外堀の桜は満開でした。
こちらは昭和9年(1934)の室戸台風で亡くなった教育関係者や児童生徒の霊をなぐさめるために建てられたという教育塔。
正面にはめ込まれた2枚のレリーフ画は、子供達に対する教育者の情熱あふれる姿勢とひたむきな愛情を表わしています。
桜並木の道を歩きました。
ここも例年なら近寄れないでしょう。
六番櫓を入れて撮影。
実弾射撃の訓練場跡地の碑を見たりしました。
桜並木は続きます。
道を曲がると一変してビルが見える都会の景色。桜は七分咲きで、華やかさに欠けていました。
こういう時は近づいて撮影。桜の向こうに一番櫓が見えます。
ここは玉造(たまつくり)口。
玉造の地名は、古墳時代、勾玉(まがたま)や菅玉(くがたま)など装飾用の石を作った技術者集団「玉造部(たまつくりべ)」が住んでいた事に由来するとか。
雁木坂を下りました。
桜のアップはこれで最後。
青屋門に戻ったのは午後5時前でした。
逆光で天守閣が暗く見えます。
若者たちがビニールシートを敷いてお花見中。
かつてこの辺りに、大砲を生産する近代日本最大級の軍事工場があったよう。
高架下を通り、大阪城公園駅へ向かいました。