バウハウス100年映画祭 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 只今全国各地で「バウハウス100年映画祭」開催中。プログラムが4つあり、日替わりで上映しています。

 

 

 

 私は大阪シアターセブンでAプログラム「バウハウス 原形と神話」を見ました。

 

 

 

 上映時間は約100分。インタビュー形式で、バウハウスの卒業生が当時の思い出を語っていくというもの。卒業生は外国人。慣れない言葉に耳を傾けながら日本語の字幕を追うのに疲れ、途中寝てしまいました。

 

 

 

 そんなわけで話が飛んでしまい、もうひとつよく分からないまま終わってしまいましたが、おそらく楽しい話をしていたのでしょう。度々流れるジャズっぽい音楽がそんな感じでした。

 

 

 

以下、バウハウスについて。

 

 

 バウハウスの起源は、19世紀末イギリスで起こったアーツアンドクラフト運動まで辿れます。アーツアンドクラフト運動とは、産業革命により粗悪な工業製品が大量に生産された状況に異議を唱え、中世の手仕事に回帰しようとする運動のことです。

 

 

 

 このアーツアンドクラフト運動の影響を受け、ドイツでは、建築家や工芸家により結成されたドイツ工作連盟が誕生し、芸術と産業の融合を掲げ、製品の質の向上を目的に規格化を推進しました。

 

 

 

 そしてバウハウスは、当時ドイツ工作連盟で活動していた建築家ワルター・グロピウス(1883-1969)を初代校長とし、第一次世界大戦後の混沌とした政治状勢のなか、1919年ワイマール共和国時代のドイツに設立されました。

 

 

 

 バウハウスは、校長のグロピウスを中心に、建築を最終的な教育の目標とした上で、すべての芸術の統合を目指す独自の教育システムを確立していきました。

 

 

 

 当時を代表する芸術家、ヨハネス・イッテン(1888-1967)やワシリー・カンディンスキー(1866-1944)、パウル・クレー(1879-1940)などを講師として招き、バウハウス美術教育の基礎を築いたのです。

 

 

 

 バウハウスの教育システムは、予備教育(基本教育)と実技の2つのコースから構成され、それぞれのコースにいるマイスター(親方)と呼ばれる教員の下で学習するものでした。

 

 

 

 予備教育では、理念や表現、構成を学び、その後工房に入り、木工や金工、ガラス、陶器などより実践的な技術を学ぶシステムがとられていました。

 

 

 

 この予備教育を作り上げた中心的な人物イッテンにより、初期のバウハウスの教育方針は、合理主義・機能主義的な考えと、表現主義的な考えが混在したものになっていきました。

 

 

 

 イッテンは後にグロピウスと対立し、バウハウスを去ることになりますが、こうしたバウハウスの教育システムは、後に世界中に浸透し、デザイン教育の規範になったと言っても過言ではありません。

 

 

 

 1923年に開催されたバウハウスの展覧会では、芸術と技術の新たな統一や、機械生産を前提においたプロトタイプ制作への取り組みが行われ、バウハウスは世界で注目される存在となりました。

 

 

 

 1925年、バウハウスはワイマール共和国の経済情勢や政治的混乱により、閉鎖を余儀なくされます。しかし同年、ドイツのデッサウで再出発を果たし、1928年には、スイスの建築家ハンネス・マイヤー(1889-1954)が2代目校長に就任しました。

 

 

 

 マイヤーが校長に就任することにより、バウハウスの国際的評価は高まりましたが、徹底した機能主義を方針とするマイヤーは、次第に共産主義色が強くなって校内から反感を買い、解雇されてしまいます。

 

 

 

 このデッサウ時代に、今日のバウハウスのイメージを形付ける作品、グロピウスの「デッサウ・バウハウス校舎」や、マルセル・ブロイヤー(1902-1981) の「ワシリー・チェア」、ヘルベルト・バイヤー(1900-1985)の書体「ユニバーサル」などが次々と生み出されました。

 

 

 

 1930年には、マイヤーの後任として、近代建築の三大巨匠の1人であるミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)が3代目の校長に就任。しかし1932年にナチスによる弾圧でデッサウ校を閉鎖。ベルリンに移転後、1933年完全に閉鎖します。

 

 

 

 多くの教師陣はアメリカに亡命し、シカゴにバウハウスの意思を継ぐニュー・バウハウスを設立し、世界中にバウハウスの理念を広めていきました。

 

 

 

 バウハウスが教育を行ったのはわずか14年でしたが、閉鎖された頃には「バウハウス様式」という言葉がドイツにおいて一般的な概念になっており、その後世界的に有名になりました。

 

 

 

 基本形の四角・三角・円と、基本色の赤・青・黄から生み出されるデザインや、白い立方体の建築、機能主義の家具などに連想されるバウハウス様式は、創立100年を迎えた今日でも色あせることなく、斬新さを保っています。