洲本城跡② | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

  搦手(からめてぐち)から本丸を出ました。

 

 

  南の丸の桜は早くも散り始め。地面に花びらが舞っていました。

 

 

  南の丸櫓跡の前を通り、大手門跡へ。

 

 

  大手門跡の手前で曲がり、石段を上りました。

 

 

  日月(じつげつ)の池は、周りを歩くより上から見下ろした方がいいです。

 

 

  八王子神社は洲本城の鎮守社で、1526(大永6)年、安宅治興が洲本城構築の際勧進したものです。

 

 

  八王子神社を引き返し、東の丸へ。

 

 

  二の門から坂道を上り、

 

 

  二段曲輪の頂上から大浜海岸を望みました。

 

 

  東の丸高石垣は洲本城跡内で最も古い石垣で、仙石秀久が石垣の城を築いた頃(1581-84)のものだと思われます。

 

 

  武者溜(むしゃだまり)は、今や花見の場所になっています。

 

 

  かつて武者溜の端に東一の門がありました。

 

 

   ここで引き返し、西の丸へ向かいました。

 

 

   道沿い籾蔵(もみくら)跡があり、往時は不作の年に備えて米を籾のまま保存していたようです。

 

 

  西門跡を通過し、山道を歩き続けました。

 

 

 洲本城跡は広く、東一門跡から西の丸跡まで歩くと約20分かかります。

 

 

 西の丸跡を引き返し、石段を下りました。

 

 

  石垣にする石の運搬中に落ちてしまい、落城を連想させることから縁起が悪く、目的を果たさずその場に放置された石を、残念石といいます。

 

 

  残念石の裏手に周り、青い海と天守閣を望みました。

 

 

 分岐点に戻り、洲本市街地への道を歩きました。

 

 

 本丸の石垣は積み方から関ヶ原の戦い(1600)以降増改築されたものと思われます。

 

 

 下り坂の途中、西登り石垣への道標を発見。

 

 

 石垣から登れば最短で天守閣に行けるとのことですが、見ての通りとても危険です。

 

 

 坂道を下り、三熊山登山口に出ました。