洲本城跡① | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 曲田山公園から歩いて30分。洲本城跡に着きました。

 

 

 大手門跡を通り、月見台へ。

 

 

   かつてここは馬屋だったようです。

 

 

 友ヶ島や紀淡海峡を望めました。

 

 

 時は戦国時代。1526(大永6)、安宅治興が由良城を本拠地として三熊山上に築城したのが洲本城の始まりです。

 

 

 1581(天正10)年、安宅氏が羽柴秀吉らに降伏し、洲本城を開城。由良城など淡路の各城は仙石秀久の支配下に入りました。

 

 

   四国攻めの水軍の城として石垣の城が築かれたのも仙石氏の頃です。

 

 

 1585(天正13)年、仙石氏に代わり、脇坂安治が洲本城に入城。


 

  城の増改築や本丸周辺の大改修は、脇坂氏の頃に行われたと伝えられています。

 

 

  本丸を囲む武者走台(むしゃはしりだい)。三熊山は標高132mの低山ですが、ここを走るのはとても危険です。

 

 

 北の虎口(こぐち)に埋め込まれた鏡石。鏡は邪悪なものを退けることから、鏡石は敵を威圧し、本丸を守る役割を担ったと思われます。

 

 

 1609(慶長14)年、脇坂氏は伊予国に転封。翌年、徳川幕府は姫路城主の池田輝政に淡路全土を与え、洲本城は輝政の三男、忠雄の支配下に置かれました。

 

 

 池田氏は成山城や岩屋城を修築し、大阪城の包囲体制を確立。

 

 

 大阪の陣(1615)の後、淡路全土は阿波徳島藩主の蜂須賀家の所領になりました。

 

 

 1631(寛永8)年、由良城廃城。本拠地は再び洲本城に移りました。

 

 

 1642(寛永19)年、洲本城廃城。政庁機能は三熊山の麓に移り、山城の役目を終えました。

 

 

 現在の天守閣は、1928(昭和3)年、昭和天皇御大典記念に建てられたものです。

 

 

 1999(平成11)年、洲本城(本丸を含む山上の史跡)が国の史跡に指定され、現在に至ります。



   洲本城跡は淡路島一の名所と言っても過言ではないぐらい、桜の映える所でした。