日時計は午後1時を指していました。
イベントの無い芝生広場は、土曜日なのにとても静かでした。
青空を見上げるように立っている、中部幾次郎(1866-1946)の銅像は、1928(昭和3)年に明石市が建てたものです。
中部氏は大洋漁業(マルハの前身)の創業者で、旧制明石中学(現明石高校)の建設費用を寄付したり、市の水産会長を務めるなど、明石の発展に貢献しました。
明石公園がお堀に囲まれているのは、明石城があった頃の名残です。城の周りを堀で囲み、敵の侵入を防ぎました。
それが今では都会のオアシスに生まれ変わり、生き物の棲家になりました。
水鳥やあひるが仲睦まじく泳ぎ、水の中には鯉が泳いでいました。
道を隔てて建っているのは、織田家長屋門。この付近は、明石藩が城を築いた頃から、歴代家老や重臣が住んでいて、門は船上城(ふなげじょう)から移築されたそうです。
建築は江戸時代初期のもので、門の止め金は室町時代後期の様式を伝えています。1970(昭和45)年に明石市指定文化財に登録されました。