観音寺 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 山陽東二見駅から徒歩10分。観音寺に着きました。臨済宗妙心寺派の寺です。

 

 創建は1267(文永4)年。寺名は「南海山(なんかいさん)法船寺(ほうせんじ)」。一時荒廃しましたが、1442(嘉吉2)年、二見村の領主、小川正辰(しょうたつ)が観音堂を再興し、1472(文明4)年、横河公孝(きみたか)が京都から龍州和尚を迎え、開山しました。

 

 1581(天正9)年に、二見村で火災が起き、観音堂は焼け残りました。1593(文禄2)年、公孝の子、横河次太夫重陳が京都妙心寺の天巌清長禅師を招いて開山し、寺名を「補陀山(ふださん)観音寺(かんのんじ)」と改めました。

 

 1790(寛政2)年に、二見村は2度目の火災に見舞われましたが、観音堂は焼け残り、その不思議な霊験を崇めて、人々は「防火観世音菩薩」と仰ぎ、信仰してきました。

 

 観世音菩薩像は、身の高さ約1m、木像で右手に蓮華を持っている、ということから、おそらくこんな姿だと思います。

 

 釈迦涅槃図が特別公開中でした。釈迦が亡くなった時の情景を表わした図を涅槃図といいます。平安時代以降、涅槃会(陰暦2月15日釈迦の命日に行われる法会)の盛業に伴い、涅槃図が描かれるようになったそうです。

 

 沙羅双樹の下の宝座に横たわっている釈迦。釈迦を囲んで泣き悲しんでいる、菩薩、天部、大臣、弟子、鳥獣。

 

 沙羅双樹の上には、飛雲に乗って釈迦を迎えに行く、仏母摩耶夫人一行。

 

 沙羅双樹は、朝咲いて夕方には散る一日花であることから、はかない命の象徴とされてきました。

 

 観音寺は沙羅双樹の寺で、庭に11本の木が植えられています。今日訪問しましたが、ちょうど見頃で、たくさんの花を咲かせていました。

 

 庭の隅にはあじさいが咲いていました。近いうちにあじさい園に行こうと考えています。