狸谷山不動院 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 八大神社から坂道を上り約15分。狸谷山(たぬきだにさん)不動院の参道に差し掛かりました。

 

 狸谷山祈祷と言えば自動車祈祷。年間1万台近くの自動車がここで祈祷を行うそうです。

 

 今から300年前の1718(享保3)年、木食正禅朋厚(もくじきしょうぜんともあつ)が、洞窟に不動明王を安置したのが狸谷山不動院の始まりです。

 

 木食正禅朋厚は、1687(貞享4)年に丹波国保津村の武士の家に生まれ、23歳で泉涌寺雲龍寺に出家し、高野山で木食(もくじき)道の伝授を受けました。31歳で狸谷山に入山。五穀を断ち、木の実を主食とする木食行は18年に及んだと云います。

 

 木食正禅朋厚は人々の現実的利益を願い、白竜(はくりゅう)弁財天を奉安しました。社会事業にも携わり、東海道最後の難所、日ノ岡峠の道路改修工事を行うなど、京都に多大な功績を残しました。

 

 1944(昭和19)年、第一世貫主、亮栄和尚が入山。狸谷山不動院は、真言宗修験道の大本山として再興されました。修験道とは日本古来の山岳信仰と、密教の呪法と修行法が習合して成立した実践的宗教です。開祖弘法大師像に迎えられ、本堂まで250段の階段を上りました。

 

 途中、弘法大師が祀られている光明殿を通り過ぎ、境内に着きました。

 

 三社明神堂を拝みました。衣の祭神は玉姫大明神、食は清隆大明神、住と愛は白玉折木大明神。木食正禅朋厚は、衣食住と愛、全てが満たされて初めて、満足な家庭を築き、安楽な生活を送れる、と考え、衣食住の神を祀ったそうです。

 

 本堂は懸崖(けんがい)造り。洞窟は内陣にあたり、そこに不動明王が安置されています。

 

 狸谷山不動院は、交通安全・厄除け・ガン封じ祈願で知られる修験道の寺です。祈祷は本堂で行われるようで、願い事を書いたお札が柱に多数ぶら下がっていました。お札の内容は、病気や事故に関する願い事が多かったように思えます。

 

 本堂から見下ろした境内はとても小さく感じられました。地面の花梵字(ぼんじ)は創建300年を記念して描かれたもので、不動明王の姿を表しているそうです。

 

 奥の院には寄らず、狸谷山不動院を出ました。