乙訓寺(牡丹) | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

 長岡天満宮から20分ほど歩き、乙訓(おとくに)寺に着きました。

 

 弟国宮(おとくにのみや)と呼ばれていたこの地に7世紀頃、推古天皇の勅願を受けた聖徳太子が、十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立したのが、乙訓寺の始まりです。

 

 784(延暦3)年から10年間、桓武天皇の長岡京遷都により、乙訓寺は繁栄しました。

 

 811(弘仁2)年、嵯峨天皇が空海を招き、奈良県大和路の長谷寺を本山とする真言宗の寺になりました。今では約2000株の花が咲く牡丹の名所として知られています。

 

 1934(昭和9)年の室戸台風で乙訓寺境内の惨状を見た、長谷寺第68代住職・海雲全教和尚が、本尊への供花に牡丹を2株を寄進したのが、牡丹寺の始まりです。

 

 拝観料を500円払いましたが、手入れが行き届いていて、それだけの価値はありました。

 

 赤系統は早咲き、黄系統は遅咲き。両方同時に見れるのは珍しい、と現地の方から伺いました。

 

 牡丹の花はとても大きく、華やかでした。

 

 こちらが一般的な牡丹でしょうか?

 

 濃い紫や、

 

 薄い紫、

 

 白

 

 このように花粉に色がついた花もありました。