須磨海水浴場を出て、須磨海浜公園に入りました。一面松林です。
須磨は在原行平(818-893)が侘び住まいをしていた地で、その歌碑がありました。
在原行平は、源氏物語の主人公ともいわれた人で、京へ戻ることのできないやるせなさを歌に託しました。
わくらばに 向ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶと答へよ
親しくなった多井畑の姉妹 松風・村雨と逢って心を癒されていましたが、ある日突然の知らせにより、京に帰ることになりました。2人との別れを惜しむ歌です。
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り求む
大時計は1時45分を指していました。
海浜公園の西の端に旧和田岬灯台が立っています。現存する最古の鉄骨灯台で、有形文化財に登録されています。
1866年に、幕府が諸外国と主要な港に灯台を作る条約を結び、翌年、幕府と英国公使が兵庫開港に備えて結んだ大坂約定で建設を約束した5つの灯台のうちの一つが、和田岬灯台です。
リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもと、1871年、和田岬砲台の横に作られました。当時は木製八角形の灯台でしたが、1884年に鉄骨造の灯台に建て替えられました。和田岬の埋め立てが進み、1963年に廃灯。その後、海浜公園に移築されました。
公園内から、国民宿舎「シーパル須磨」が見えます。
ここは海浜公園の裏側のようです。表に回りました。次に続きます。