安徳帝内裏跡伝説地 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

須磨浦公園の北側の高架を通りました。道のりは険しそうです。

 

急な階段が続きます。この先に安徳帝内裏跡があります。

 

階段の途中で一休み。東は須磨の街並み、西は海づり公園です。

  

 

一の谷公園に着きました。

 

この敷地内に安徳帝内裏跡伝説地があります。

 

安徳帝内裏跡にちなんで、安徳庭園。まるで南国の楽園のようです。

 

 この付近は「異人山」と呼ばれていて、1965年頃まで山陽電鉄敷設技術者の異人館が点在していたそうです。土地の人はここに記念館を建てようとしましたが、希望は果たせず、代わりに大鳥居を建てました。

 

鳥居の先には、モルガン灯籠が建っています。

 献上した人は異人山に住んでいたモルガン・ユキです。旧姓は「加藤ユキ」で、京都で舞妓をしていました。1904年にアメリカの大富豪、ジョージ・デニソン・モルガンと結婚。

 

モルガン灯籠の奥に、安徳宮があります。

 源平の戦で源氏に追われた安徳帝は、平家一門にに奉じられて西走の途中、一の谷に内裏を置いたと伝えられています。

 安徳帝は1185年下関壇ノ浦の戦にて、祖母二位の尼(平清盛の妻・建礼門院の母)に抱かれ、8歳で海に身を投げました。

 

隣は、真理胡弁財天が祀られています。

 安徳帝は平家物語にあるように、「海の下にも都があります。」この祖母二位の尼の言葉と共に、千尋の底へ沈んだそうです。

 

皇女和宮像。1846-1877。仁孝天皇の第8皇女。14代将軍徳川家茂の正室。甥は明治天皇。幕末の動乱期に公家と武家の合体の切り札として政略結婚させられた女性。

兵庫県議などを務めた中村寅吉が「日本女性の伝統ある美徳保持」を願って造った像。昭和初期に神戸の三つの高等女学校に寄贈。そのうちの一つです。

 

戦前と戦後の価値観の違いを感じました。

一の谷公園を出て、駅に戻りました。次に続きます。