須磨浦公園 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

須磨浦公園駅を下車しました。隣に須磨浦山上遊園へ行くロープウェイがあります。

 

既に夕方4時で、山上遊園を散策するには時間が足りないので、駅周辺にとどめました。

 駅から100m西に敦盛塚があります。「一の谷の戦い」で源氏の武将・熊谷直実に討たれた若武者・平敦盛の供養塔です。

 

敦盛橋を渡りました。西日がとても眩しいです。

 

敦盛橋を歩き続けました。蕪村句碑があります。

 「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」 与謝蕪村が須磨の浦で詠んだ歌です。

 

春の海は薄いグレーで太陽の光も柔らかで、蕪村の歌の通りうつらうつらと寝てしまうでしょう。

 しかし、夏の海は目が覚めるほど真っ青です。

 

芭蕉・蝸牛(かたつむり)句碑。

  「蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石」  松尾芭蕉が西にある堺川のほとりで作った句です。

 

沼にはガマが生い茂っていました。夏を感じさせます。

 

九年母会主催者・五十嵐播水の句碑。 「下り佇てば 遅日の淡路 籬(まがき)の上に」

 

子規と虚子の句碑。子弟碑で、碑面の字は直筆です。

 正岡子規 「虚子の東帰に ことづてよ 須磨の浦わに 晝寝すと」

 高浜虚子 「子規50年忌 月を思い 人を思ひて 須磨にあり」

 

駅に戻る途中、三の谷に入りました。松林から海が見えます。

 

駅前に須磨浦公園の看板があります。今度は東へ行きました。

 

公園をずっと歩きました。ここも松林です。

 

途中、児童遊園に寄りました。遊具のデザインがとてもいいです。

 

児童遊園内に海の生き物のオブジェがありました。クジラと恐竜でしょうか?

  

 

須磨浦公園の真ん中は二の谷です。二の谷はロックガーデンに様変わりしていました。

 

ここにも21年前の阪神・淡路大震災の跡がありました。

 震度7の地震で、直径1.2m、重さ2.4トンの地球儀が、みどりの塔から落下したそうです。

 

 みどりの塔も、囲塀が壊れ、石舗装がひび割れしました。

 

源平史蹟 戦の濱碑について、次のような説明がありました。

 一の谷は、鉄拐山と高倉山との間から流れ出た渓流に沿う地域で、この公園の東の境界にあたります。

 1184年2月7日の源平の戦いでは、平氏の陣があったと言われ、この谷を200mあまりさかのぼると二つに分かれ、東の一の谷、本流に対して西の谷を赤旗の谷と呼び、平家の赤旗で満ちていた谷だと伝えられています。

 

一の谷から西一帯の海岸は、戦の濱と呼ばれるほど、激しい戦いが行われた所だったそうです。

戦の濱碑から北へ歩き、須磨浦公園を出ました。次に続きます。