常寂光寺 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

祇王寺を出て二尊院を通り過ぎ、新緑の道を歩きました。

 

常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は日蓮宗の寺です。

 小倉山の中腹にあり、ひっそりと落ち着いていて、天台宗四土にいう常寂光土(仏の悟りである真理が実現している世界)の観があるところから、常寂光寺と名付けられました。

 

仁王門は1616年に本圀寺客殿の南門を移築したもので、仁王像は運慶作です。

 

青もみじの石段を上りました。

 

 本堂は、伏見城の建物の一部を、慶長年間(1596-1615)に、第2世通明院日韶(にっしょう)が移転修造したものです。

 

地面は苔が絨毯のように敷き詰められています。白い苔もありました。

  

 

池に浮かぶ石も苔むしていて、大きな亀のように見えます。

 

 妙見堂には能勢妙見が分祀されています。

 北極星信仰の聖地、日蓮宗霊場「能勢妙見山」は北極星の神様である妙見大菩薩を祀り、源氏を祖とする能勢氏ゆかりの寺院です。大阪府と兵庫県の県境、能勢町にあります。

 北極星は人の運命を司る星々の王と言われ、星の動きを支配し運気を好転させて下さることから開運の神様として知られています。

 

竹と青もみじで覆われた石段を上りました。

 

ここの竹林は絶景です。

 

 階段を上った所に高さ12mの多宝塔がそびえ立っていました。1620年の建立で、釈迦(現在仏)と多宝二仏(過去仏)を安置するため、並尊閣と呼ばれています。

 法華経の教えによると、生きている親と過去に亡くなった先祖を両方とも同じように供養するために、現在仏と過去仏を両方とも安置するそうです。

 

この付近には、藤原定家の山荘、「時雨殿(しぐれでん)」が建っていたそうです。

 

 歌仙祠には、鎌倉時代初期の歌人、藤原定家(1162-1241)と藤原家隆(1158-1237)の像が安置されています。

 

 さらに階段を上り、展望台に着きました。ここまで来る人はあまりいないようです。展望台から嵯峨野の景色を眺めました。

 

 階段を下りて来た道と反対側の道へ行くと、開山堂があります。開創は1591年、本圀寺(ほんこくじ)16世、究竟(くきょう)院日稹(にっしん。1561-1617)がこの地に隠棲したのが始まりです。

 

末吉坂を下りました。もうすぐ17時になろうとしています。

 

藤原定家山荘跡の石碑。小倉百人一首編集の地でもありました。

 

山門が閉まっていたので、裏道から常寂光寺を出ました。次に続きます。