大沢池と名古曽の滝跡 | 散策日記Ⅰ

散策日記Ⅰ

美術館&博物館で開催された展覧会の記録、それにまつわる散策記です。

大覚寺を出て、大沢池(おおさわのいけ)に向かう途中、茶室がありました。

 嵯峨天皇は空海と大沢池に舟を浮かべ、お茶を飲んで一日を過ごし、空海を見送る時に詠んだ漢詩から、茶室は「望雲亭(ぼううんてい)」と名付けられたそうです。

 

 大沢池は、日本最古の人工の林泉(林や泉がある庭園)です。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営の際、唐の洞庭湖をまねて造らせたことから、庭湖とも呼ばれています。

 

池のほとりに、空海が大覚寺の鎮守として建てた五社明神があります。

 伊勢外宮、伊勢内宮、八幡宮、春日宮、住吉宮の五社で、神や天皇が祀られています。

 

 心経宝塔(しんぎょうほうとう)は、1967年に、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。空海の勧めで嵯峨天皇が自筆の般若心経を納めたことから、空海の像を祀っているそうです。

 

蓮も見頃を迎えていますが、池が広すぎて、花がよく見えませんでした。

 

池のほとりを奥まで歩き続けました。ここが大沢池の見どころです。

 

島に鳥居があるので、天神島と呼ばれています。

 

天神島の対岸に、菊ヶ島が浮かんでいます。

 

 天神島と菊ヶ島の間に、庭湖石(ていこせき)があり、この二島一石の配置が、華道嵯峨御流の基本型に通じているそうです。

 

砂利道を歩き続けました。想像より遥か遠い所に、名古曽(なこそ)の滝跡がありました。

 名古曽の滝は、平安時代の歌人、藤原公任(きんとう)が詠んだ歌で知られています。

  「瀧の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」

 

奥まで歩いて来た道を戻ると、小一時間ほどかかりました。

 13時半を過ぎました。大覚寺で祇王寺とセット券を買った時、「祇王寺まで歩いて25分かかりますが、いいですか?」と聞かれましたが、その訳が分かりました。

 大覚寺と大沢池がとても広く、想定以上に時間を費やしたため、直指(じきし)庵と清凉寺に寄り、祇王寺まで行けるか不安になってきました。お寺巡りは次に続きます。