寺町通から新京極通に入りました。平安京の最も東に位置した東(ひがし)京極大路が寺町通で、その東側に新しく作った通りなので、新京極通と呼ばれています。
新京極通を南へ歩き、誓願寺(せいがんじ)に着きました。
誓願寺は、667年に天智天皇の勅願により創建されました。もとは奈良にあり、鎌倉初期に京都の一条小川に移転し、1591年に豊臣秀吉の寺町整備により、現在の地に移されました。
本尊は阿弥陀如来坐像で、法然上人の高弟、西山(せいざん)上人、善恵房證空(ぜんねぼうしょうくう)の流れを汲む浄土宗西山深草派の総本山です。
すぐ近くに誠心院(せいしんいん)があります。
関白藤原道長が、娘の藤原彰子(しょうし)に仕えていた和泉式部のために、法成寺(ほうじょうじ)東北院内の一案を与えたのが始まりとされています。
真言宗泉涌寺(せんにゅうじ)派の寺で、初代住職は平安時代の代表的な女流歌人、和泉式部です。
本堂は、本尊阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部と藤原道長の像を安置しています。
境内には、和泉式部の墓がありました。
蛸(たこ)薬師堂に入りました。
正しくは浄瑠璃山永福寺といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像を安置しています。
昔、この寺が二条室町にあった頃、付近に池があったことから、水上(みなかみ)薬師又は澤(たく)薬師と呼ばれ、これが訛って蛸薬師になったと言われています。
病に苦しむ人々が、龍神水で体や家の周りを清めると、たちまちのうちに病が消えるという言い伝えがあり、「弁天さま御神水」と親しまれるようになりました。「薬師の泉」とも呼ばれています。
錦天満宮は、人盛りで、線香の煙で朦々としていました。
入口には、牛の頭を撫でると頭が良くなるという「なで牛」がいました。
京の名水「錦の水」。地下100尺から湧き出ている水で、水温を17~18度の保っているそうです。とても冷たく感じられました。
10世紀初頭、菅原道真の生家「菅原院」に創建されたこともあり、菅原道真を祀っています。
鳥居が離れた所にありました。ここを奥へ歩くと、錦市場の入口です。
錦市場は400年の歴史を誇る京の台所です。
地下水を利用した井戸で生ものを冷やしたのが始まりで、1615年に幕府から魚問屋の称号が許可され、魚市場として栄えたそうです。1926年に京都中央卸売市場が出来たのをきっかけに現在の姿になりました。
人ごみの中、端から端まで30分ほど歩き、錦市場を出ました。
祇園祭り山鉾巡行から始まり、この日の散策はここで終了。阪急河原町に向かいました。