御三間(おみま)は、宮中御内儀の行事が行われた場所です。
内部は、上段の間、中段の間、下段の間に区切られています。
上段の襖絵 住吉弘貫(すみよし ひろつら)筆の「朝賀図(ちょうがず)」
中段の襖絵 駒井孝礼(こまい こうれい)筆の「賀茂祭群参図(かもさいぐんざんず)」
下段の襖絵 岸誠(がん せい)筆の「駒引図(こまひきず)」
公開順路を一巡し、清所門を出ました。
御所外塀に沿って歩きました。「蛤(はまぐり)御門」を出て「護王神社」へ行くためです。
蛤御門のエピソード。
1788年に発生した「天明の大火」で御所が炎上した時、滅多に開くことのなかった門が開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられました。
1864年「蛤御門の変」では門の周辺が長州藩との激戦地となりました。現在でも門柱に命中した弾痕を確認することができます。