前回からの続きです。今回は「できる方法を考える」というテーマにしました。私自身の経験ですが、できない理由を挙げて得意になっている人が業務命令などで嫌々でも何かをすることになった場合、必ずトラブルや失敗を引き起こして業務の全体を停止させてしまうようなアクシデントになる傾向がありました。本人がどれだけ「わざとじゃない」と言っても、誰もあまり信用してくれない状況にさえなってしまったこともあったと記憶しています。そんな場合に限って、アクシデントを起こした当人は、別の人に責任を転嫁していたようです。しかし、こんなことが頻繁に起きると、人間的に「?」の評価になってしまいますよね。
できる方法を考えるというのは、固定化して融通が利かなくなっている私たちの頭の中を整理するような働きがあるんじゃないでしょうか。普段はそんな機会って、なかなかありませんよね。だったら、改善であったり顧客からのリクエストであったり、理由は何でもよいので挑戦してみる価値があるんではないでしょうか。
発想を変えてみるとか、捉え方や解釈を見直してみるとか、解決に至るヒントになりそうな情報が見つかるかもしれません。そうでもしないと受け身の姿勢で仕事に取り組みがちになりますので、私たちの仕事が人工知能に置き換えられてしまうかもしれません。なぜって、与えられた条件でしか処理ができない人になってしまうからです。
これからの時代は、自分の考えやアイデア、切り口や捉え方などが非常に大切になってくるのではないかと考えています。誰でもできる事なら人工知能に任せておいて、人間でしかできないことに注力することが求められるでしょう。すでに、〇〇年後には無くなっている職業といった表現さえも出てきているくらいですから。
どんな言い訳をしたって問題は解決しませんし、先延ばしにすれば余計に拗れて解決が遠のく事も出てくるでしょう。また、やってみたら意外に難しくなかったという例だって出て来るんじゃないでしょうか。
さらに言うと、問題が起きてから解決策を考えて行動するよりも、問題が起きそうだという時点で解決に動き出せたら、処理するにしてもラクにできるでしょう。組織の中でのことに限らず、自分を取り巻く環境で見ても同様に捉えることができれば、大きな問題に直面することが少なくなると考えられます。
今取り組んでいる事に対して常に考える習慣を持ち続けるというのは大変な事ですが、必要な姿勢として意識しなければならない時代になってきているとも感じます。考える内容も、質を上げるか時間を短くするか、それともコストを下げるか、手間を減らすか、気持ちにせよ作業にせよ、何か引っかかるようなところはないか、以前と比べて何か変化したものはないか、そんなことに目を光らせていくことが求められます。
情報だって常にアップデートしていかないと、いつの間にか世の中に取り残されてしまいます。それだけ、動きの激しい時代なんですよね。
現状維持は後退でしかないということ、改めて肝に銘じておく必要がありそうです。