実花さんは今年で25歳。
今の会社に勤めて5年。

仕事もバリバリこなすし、新人教育も任されるようになったが、給料はたいして変わらない。

毎月振り込まれる決まった金額を
実花さんは五万円だけ引き落とす。
五万円だけは自分の好きなように使う、いわばお小遣いにする。と、決めている。


この日は待ちに待った給料日。
実花さんはいつも通り五万円だけ引き落とし、何を買おうか?何を食べようか?と心を弾ませていた。


ところが…家までの帰り道、突然後ろから物凄い勢いで走ってきたバイクに実花さんのカバンはさらわれた。

実花さんのお小遣いが入った財布が入ったカバンが。


急いで警察に駆け込み被害届を出す手続きをしていると、警察官が世間話でもするかのような軽い口調で言った。

「でも、五万円で済んでよかったね。前にもっと大金の入ったカバンを取られた人もいたんだよ。あれは気の毒だったなぁ~」

実花さんの五万円は小さい。小さい。
どれほど懸命に頑張って稼いだものなのか、あの人は知らないのだ。

日付が変わるまで残業した日のこと。
上司に怒られ涙した日のこと。
後輩が突然辞めてしまった日のこと。
仕事がうまくいってガッツポーズをした日のこと。

全部全部詰め込んで、実花さんに振り込まれる給料。
変わらない五万円。
毎月、毎月、五万円。


「戻ってこないかもしれないけど、まぁ額も少ないしね」
と言う警察官に
「そうですね。」
と実花さんは呟く。

実花さんの五万円。
明日なんて来なければいいのに。

布団に潜り込んで そんな事を願っていた。
本当ならば、今布団にもぐっていること自体が大間違いなのだ。

あぁ。神よ。私は今なにをするべきでしょうか?

わかっています。本当は。
えぇ。今すぐにペンを握るべきでしょう。
布団から出るべきでしょう。
机に向かうべきでしょう。

明日は期末テストなのですから。


学生にとってテストというのは最悪なビッグイベントである。

優秀な奴らはみんな
「授業ちゃんと聞いてたら分かるよ」
などとぬかしやがる。

ふざけるな。授業をちゃんと聞いてもわからないから困っているのだ。

私は典型的な一夜漬けタイプだ。
1日だけ頭に情報を押し込み、次の日にはキレイさっぱり忘れている。

いわゆる‘‘バカ”である。

私にとってはテストはすべて暗記問題なのだ。


しかしながら、私は今布団の中にいる。
なぜか?
それは…どうしても眠いからである。
こればかりはしょうがない。

いくら机に向かったところで瞼は自然と閉じていく。
ちょっとの仮眠はあっという間に朝を迎えた。


さぁ、腹を括ろうではないか。
大丈夫。きっと0点ではないはずだ。
ケンカ…をした。
ちょっとしたことから言い合いになって
互いに引くに引けなくて
どちらともなく手が出た。

制服はボロボロ。顔もボロボロ。
一目で殴られたことがわかるであろう。


(あー…帰ったら母ちゃんになんて言おっかなぁー)

そんなことを考えながら玄関のドアを開けた。

「ただいま…」

母は夕飯の支度に追われながらチラリと俺の方を見て、一瞬驚いた顔を浮かべたあと慌ててこちらに駆け寄って俺の顔をじっと見つめた。


「口、切れてんの?」

「?あー…多分」

「ったく、もう!!」

そう言ったあと母はおもむろに救急箱を取り出して
「座んなさい!」
と言った。

母は手当てをしながら何度も「うわー」とか「げぇー」とか言いながら「バカなんだから」と繰り返した。


「なに?ケンカ?」

「んー。」

「派手ねぇー。あんたそんな口でご飯食べれんの?」

思っていた以上に淡白な母の様子に俺は驚いたと同時にホッとしていた。

ケンカの理由を問いただされるか、長い説教をされると思っていたからだ。
しかし何も聞いてこない母が不思議だったので、思わず


「怒んねぇーの?」
と、問いかけると母は不思議そうな顔をして
「なんで?」
と、言った。

「だって、けっこうボロボロになってるし…」

「だってケンカでしょ?イジメじゃないんでしょ?」

「うん。」

「じゃあ、いいじゃない。怒る必要ないじゃないの。あんた達の問題はあんた達で解決しなさい。」

「うん。」


うちの母はなかなかに男前だ。
心配しないわけじゃない。でも詮索はしない。
ケンカをして唯一、母が激怒したのが制服を汚したことだった。