婆ちゃんが歩けなくなった。
もうずいぶん歳だし仕方ないことだろう。
そのうち、どんどん身体の自由がきかなくなって
寝たきりになってしまった。

介護に追われる母は大変そうだった。

婆ちゃんはそのうちボケがはじまって
僕のことも、母のことも
忘れてしまっているようだった。

毎日顔を合わせるたび
「あんた、誰だっけね?」
と、尋ねる。


婆ちゃんの目が見えなくなった。
婆ちゃんは無口になっていった。

たまにあまりにも静かに寝ていると
生きているのか心配になった。


ある日、朝から婆ちゃんが鼻歌を歌っていた。

「婆ちゃん、今日はご機嫌だね」

婆ちゃんの元気そうな姿に僕は嬉しくなった。
婆ちゃんは僕の声を聞いて

「正人か?」

と尋ねた。
もう名前を呼ばれることなどないと思っていた僕は、ひどく驚いた。

「婆ちゃん、わかるの?」

「分かるさ。」

婆ちゃんはとても穏やかな顔をして笑っていた。
そしてポツリと呟いた。

「明日で終わりだね。」

「何が?」

「明日でぜんぶお返しが終わるよ。」

「お返し?」

婆ちゃんが誰から何を借りていたのか
一体いつの間に返しに行ったのか
僕には不思議なことだらけで、よくわからなかった。

「一つずつ、貰ったからね。一つずつ返していったのさ。明日、きちんと神様にお返ししなくちゃね。」

僕は何を言っているのかよくわからなくて
ただ「ふふふ」と笑うだけだった。
婆ちゃんも「ふふふ」と笑って、そのまま眠ってしまった。


次の日。
起きたら婆ちゃんはもう生きてはいなかった。
とても綺麗に、穏やかに、
あの世へと還って行った。
幾度も目にしてきた光景を
自分が体験したとき
頭が真っ白になった。


朝、学校に行くと昨日まで仲の良かった友達が皆、私から離れていった。

「おはよう」
と声をかけると、逃げるように他の友達のところへと駆け寄った。

あぁ。ついに私の番か。

私はそう悟った。

誰が言い出したのかわからないが、こういうことは誰か一人の掛け声で始まる。
いっせーの!で始まる。

私は誰かに話しかけるのをやめた。
休み時間もひたすら一人でいた。
それはそれは辛かった。悲しかった。
泣きたかったけど、泣いたら彼女達の思うツボだ。
私は涙をグッとこらえて1日を終えた。

いつまで続くのだろうか?
そのことを考えると気が病んだ。

彼女達のイジメは日に日にエスカレートしていった。

無視から始まり、授業中は消しカスを投げられ、休み時間はわざとらしくぶつかり、大声で悪口を言われた。

悲しかったけど、同時に私は腹を立てていた。
彼女達の掌返しにどんどんと嫌悪感が増していった。


参観日。一矢報いるには絶好のチャンスだ。
母親たちがゾロゾロと集まり、和やかに授業は進められた。
授業も終わりに差し掛かったとき、先生が

「では、何か質問がある人ー?」

と聞いたので、すかさず私は手を挙げた。

「先生はこのクラスのイジメをご存知ですか?」

クラス中がざわめいた。
先生は動揺を隠せずうろたえた。


「私がイジメを受けているのは、このクラスの全員が知っているはずですが、先生は知っていましたか?」

震える声を必死で抑え、私は続けた。

「ある日突然です。なんの脈絡もなく昨日まで仲良しだった友達が無視をし始めました。」

母親達がざわめき始め、一人の母親が

「先生、本当なんですか?」
と厳しい口調で聞いた。

先生は困ったように
「いや…。あの〜」
と口籠っている。

私は答える。
「イジメに合っていると、私が主張するだけでは真実かどうか怪しいでしょうか?」

母親達は静まり返る。

「授業中に消しカスを投げるのはイジメではありませんか?わざとぶつかられるのは、私の勘違いですか?大声で悪口を言われるのは私が悪いからですか?」

ついに涙は溢れた。

「イジメをしていた心あたりのあるものは立ちなさい」

重い空気の中、先生が言った。
だが、誰も立ち上がりはしなかった。

平然としている彼女達を見て、私の中の何かがプチンとキレた。

「あかり、はるな、ゆか、みさと。」
私は大きな声でその名を呼びあげた。

「四人とも立ちなさい」
先生が静かに言うと

「は?意味わかんないし。最悪。」
とボソッと言ったのは『あかり』だった。

四人は悪びれる様子もなく気怠げに立ち上がった。

『あかり』は私に
「てかイジメてないし。被害妄想じゃないの?」
と言い放った。

私は思い切り『あかり』に消しカスを投げた。

「はぁ⁉︎何すんの⁉︎」
『あかり』は怒鳴った。

「被害妄想じゃないの?」
私は平然と言ってみせた。


パシンッ!と『あかり』の頬を叩いたのは、『あかり』の母親だった。

「謝りなさい。なんなのその態度は。誰かを傷つけて喜んで笑ってるなんて気味の悪い!」

涙で顔をぐしゃぐしゃにして震える声で『あかり』の母親は怒鳴った。
『あかり』の母親は深く頭を下げ
「本当にごめんなさい。辛い思いをさせたわね。ごめんなさい。」
と、何度も私に謝った。

『あかり』は真っ赤な顔をして、目に涙をうかべながら私を睨みつけていた。

その後の保護者会に私とあかり、はるな、ゆか、みさとも呼び出され、私はイジメの詳細を母親たちの前で説明した。
4人の母親たちは泣きながら謝罪をし、娘たちにも謝罪を促したが私はこれを拒否した。

「謝罪なんていりません。悪いと思っていない人達に言われても嬉しくないです。きっと明日からもイジメは続きます。もっとひどくなるかもしれません。私はそれに耐えながら生きていかなきゃいけません。その事を知っておいてほしかったんです。この人達はイジメをするのが好きな人達で、そういうことが平気でできるって。」

この場を丸く治めてなんかやらない。
変な奴だと、面倒な奴だと思われてもいい。
できるだけ鮮明に、でも2度と思い出したくないものとして彼女たちの記憶に残したかった。







数年後に開かれた同窓会に、彼女たちの姿はなかった。
噂ではそれなりに楽しく過ごしているそうで、あの頃のことは黒歴史として刻まれているらしい。


どうして女というのは
ああも人前で泣くことを躊躇しないのか
僕には疑問である。

まるでそれは「可哀相な私」を演出する為の道具のようだ。


同じクラスのA子が朝からこれみよがしに泣いていた。
それに気付いたB子とC子は、さも心配そうにA子に駆け寄り肩を抱き困ったような顔をした。

僕はその光景につくづく寒気がした。

それぞれが自己アピールでもするかのように周囲をチラチラと気にしながら、その芝居じみた顔を作っている。


B子がわざとらしい大きな声で
「最低!そんな男やめなよー!」
と言った。
C子もそれに同調し、これまたわざとらしい大声で
「そうだよー!」
と言った。

A子はまだシクシクと泣いているが、ずっと俯いたままなので本当に涙が出ているのか怪しいもんだ。と僕は思った。


彼女達はずっと周囲を気にしている。


一体なにをアピールしたいのだろう?
僕にはサッパリわからないし、彼女達を見て心優しい人だとは微塵も思わない。

ただの自己顕示欲の強い頭の悪い女にしか見えない。


だいたいどうして人前をわざわざ選んで泣くのだ。
泣きたいのならトイレにでもこもっていればいいじゃないか。
あんなのは「私泣いてますよ。皆さん気にしてください。理由を聞いてください。」と言っているようなものではないか。


人間はどれほど辛いことがあろうと、わりと気丈に振る舞えるものだと僕は思っている。

ましてや、彼氏が浮気したかもしれない。なんて状況であそこまで大袈裟に泣くなんてどうかしてる。


それに過剰に心配するフリをするB子とC子も頭がおかしいと思う。
わざわざ大声で心配するフリをして、事の詳細をクラス中に紹介してみせる。

僕はこの茶番がいつまで続くのだ。とうんざりしていた。
誰がA子の泣いている理由を知りたいというのだ。僕にはどうでもいい話だ。
ただうるさい女が3人固まっているだけだ。


そんな僕と同じように冷めた視線を送っていたのが、青山 沙知だ。
彼女は呆れはてて少し笑っているように見えた。

沙知はスッと席を立ちA子のもとへ歩きハンカチを差し出した。
A子は驚いて顔をあげたが、その顔には涙は溢れてはいなかった。

沙知は
「良かったら使って。もういらないかもしれないけど。」
と言ってニッコリと笑った。


僕は心の中でガッツポーズをした。
ざまぁみろ!嘘泣き女め!


沙知は3人に小さな声で何かを言ったあと、静かに教室を出た。
僕は慌てて沙知を追った。

「青山さん!」

呼び止めた僕を見て沙知はニッコリと笑った。

「ちょっと声小さくした方がいいかも。みんなに聞こえちゃってる。て、教えてあげたの。いかにも親切っぽくね。私、性格悪いから。」


僕はまたニッコリと笑う彼女に心から拍手を送りたい気分だった。